ゲーム理論の超大家ルービンシュタインが「ゲーム理論は現実に直接応用できない」と発言して話題になっているが、偶然にも労働問題が専門の濱口氏から、私のブラック企業のゲーム理論的な定式化がリアリティから離れている感があると批判されている。
厳密なゲームのモデルではないし、テクニック的にはもっと向上の余地があるが、濱口氏の批判は、モデルの改良を行ったとしても、なお有効だと思うので主要部分を転載したい。
メンバーシップ型の社会的交換の社会的正当性がなお高く評価され、そちらにはいることが望ましいとなお社会的に意識されている状況下において、そこから排除されたまたは排除されかねないと思う者が、(実はそのような社会的交換を保障していないにもかかわらず)滅私奉公的な働きを要求する企業に惹き付けられ、自分が救済されていることの証しとして滅私奉公的に働こうとすることは、ある意味で極めて自然な反応といえます。
これはまことに皮肉なことなのですが、「正社員にならなくてはいけない」という社会的圧力が強くかかればかかるほど、その「正社員」の内実を確認するよりも、せっかくつかんだ「正社員」の身分であることを自己確認するためにも、盲目的に滅私奉公することが(主観的には)合理的になってしまいます。もちろん、それは客観的には全然合理的ではないわけですが。
その意味で、社会全体で(社会的交換が成り立っている)正社員の枠を減らしながら、正社員志向を強めることは、(社会的交換が成り立っていない)疑似正社員への自発的供給を増幅する効果があるということもできます。
歴史的な経験などから社会的に「正社員になるのがプラス」と言う『信念』が形成されていて、そのために無理にブラック企業での正社員の獲得・地位を維持しようとする行動が発生している事も問題だと言う事のようだ(*1)。
経済学、特にミクロ理論では、未来を確率的に正しく予見した上で信念の形成がされるとする傾向がある。しかし現実に、その仮定を維持できるとも限らない。現在の職場で頑張る事が人生にプラスなんて誰にも分からない。親などの周囲の情報から、意思決定のための『信念』を形成するしか無いのだ。
実際にブラック企業で働く人が、どのような『信念』を持っているか計量分析する必要があるであろう。その上で、比較的新しいアプローチである帰納的ゲーム理論と限定合理性を導入すれば、この問題をクリアしたモデル化が可能かも知れないが、容易ではない(*2)。ある経済評論家が、経済学に研究活動は不要だと言っていたが、こんな身近な事例でも研究の余地はあるものだ。
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