単に自分の興味関心を世間と共有したいために書いている研究者も多い気がするのだが、一般向けの啓蒙書は、研究成果を世間に広めることで研究資金や後進となる学生を得る可能性が増すことができる、良いアカデミアのマーケティング手法だと思う。ただし、平易に書いてあるが題材の説明になっていないモノや、手堅く書きすぎて単なる教科書になっているものなど、失礼ながら駄作も少なくない。玉石混合な所も含めて大衆向け科学書の面白いところだが、新たに組織で出したらしっかりした内容なのにまとまりが無くなる事例が発生していた。
2016年12月31日土曜日
2016年12月15日木曜日
V-22オスプレイの不時着を語りだす前に知っておくべきこと
空中給油中にローターを破損し、機体不安定な状態で市街地上空の飛行を回避するために、沖縄県名護市沿岸で着水し大破したティルトローター機V-22オスプレイの2016年12月13日の事故*1に関して、その危険性を強調した話をしだしている人をそこそこ見かけるのだが、最低限知っておくべき事が幾つも抜けている気がしてならない。過去の米軍機や自衛隊機の事故について、少しは調べて比較して欲しい。
2016年12月13日火曜日
『優生学と人間社会』を読んで左派のレッテル貼りを検証したら
ネット界隈の左派が自明の禁忌としているものの一つに優生学があり、生命倫理や介護医療などで気に入らない言説に優生学だとレッテルを貼って回っているところがある。ナチス・ドイツの行なった障害者の安楽死計画と同じだと言いたいようなのだが、それにしては広範囲に適用し過ぎなところがあるし、彼らは妄信的かつ短絡的な議論しかできないので、その理屈を汲み取るのは難しい。そこで『優生学と人間社会』を読んで、優生学が禁忌とされる事情を確認してみたら、もっと大きな倫理的な話題が議論されていた。
2016年12月8日木曜日
公教育支出の男女格差自体が問題なのか?
『日本の女子達は3200億円程の不平等を受けている』と言うNPO法人/国連児童基金の畠山勝太氏の論説が奇妙に思えるが言語化できないという質問をもらった。拝読してみたのだが、確かに捉えどころが難しい。
畠山氏は男女の進路の傾向の差異によって生じる社会格差を是正すべきと言いたいのだが、女子へのアファーマティブ・アクションを肯定するための方便として公教育支出の男女格差を是正すべき問題のように見せかけているので、内的整合性に問題が出てきて論説全体の主張が分かりづらいものとなっている。自分の問題意識を良く整理できておらず、それとは乖離のある方便を信じ込んでしまっているかも知れない。
2016年12月4日日曜日
韓国政治が世界的にも例を見ない「政治実験」になるとき
友人に政策運営を相談し、さらに便宜を図ったことから、野党と与党の一部が弾劾の動きを見せている韓国の朴槿恵大統領だが、その進退を国会に任せる旨の談話を出して混乱を招いており、少なくとも12月2日の弾劾手続き開始の発議は回避する効果を持った。翌日に発議されたが。
韓国政治の専門家の浅羽祐樹氏によると「政局を混乱させることが狙い」で「次の大統領レースに出場する選手たち(多くは国会議員)が、一番大きい変数となるレースの日程を決める」『世界的にも例を見ない「政治実験」』になるそうだ*1。しかし、違和感が残る議論になっている。弾劾もしくは、弾劾を避けるための辞任であれば、異例とも言えない。
2016年12月2日金曜日
2016年11月26日土曜日
巫俗と朴槿恵大統領辞任要求デモ
毎日新聞記者の澤田克己氏が朴槿恵大統領辞任要求デモが盛り上がった理由として、大統領の相談役である崔順実氏が、伝統的には最下層の賤民に位置づけられる巫俗(ムーダン)であることを理由の一つに挙げている*1のだが、「まったく専門性のない人間が国政の指南をしていたことが許せん」と言うだけで、巫俗が最下層の賤民である事は関係ない気がしなくも無い。あえて巫俗に問題があるとするならば、まだ李氏朝鮮のときに巫俗が政治に関わった結果の方を、意識している人の方が多いと思う。
2016年11月22日火曜日
「Aを批判するものは、Bも批判すべし」論法の意味すること
ネット左派の「疑似科学を批判すべきならば、優生学も批判すべし」と言う議論からの展開だと思うが、「Aを批判する者は、Bも批判すべし」などと言う主張をする人を、「そもそも何を批判したいかわからない」「人格としては信用しない」と主張している人がいる*1。婉曲的な表現ではあるが、大抵のケースではそう不明瞭な主張ではないので指摘したい。大抵のケースでは「Aを批判する者は場当たりな道徳判断をしている」と主張していると捉えることができる。
2016年11月21日月曜日
優生学と言うよりは優生思想だから、疑似科学批判はできない
2016年11月18日金曜日
朴槿恵を弾劾する事はできるのか?
韓国の朴槿恵大統領が崔順実氏に演説草稿を添削してもらっていた事が発覚し、朴氏の退陣要求デモが繰り広げられており、与野党国会議員から弾劾まで取り沙汰されているここ数日だが、安易に政治的な激動を予言しない方が良いように思える。朴氏の失脚は明らかではない。弾劾審判を行なう憲法裁判所は、李明博氏と朴氏が任命した与党に近い裁判官で占められている上に、任期の関係で実質僅か2名の反対者で棄却されるので、弾劾のハードルは相応に高い*1。しかも、現時点で伝えられている情報からは、全員賛成になりそうな大きな過失が無い。
2016年11月17日木曜日
トランプ支持層とナチス支持層はだいぶ違う
比較すると非都市部の中高年以上の低学歴・高所得層が熱心に支持しているといわれるトランプ氏であるが、低学歴で高所得にひっかかるので地域と年齢のコントロールをしっかり行なった分析を見るまでは、政治分析は信じないぞと心に決めている。特に、ワイマール共和国時代のナチス・ドイツとの類似性を主張している選挙分析は、ほとんど信じるべきではない。それがあなたが信奉しているエコノミストの話であっても、疑ってかかるべきだ。
2016年11月14日月曜日
ポリコレ棒で叩かれているモノ
口が悪いトランプ氏が次期大統領に決まった事で、なぜか世の中に仲間が多いと思ったのか*1、ポリティカル・コレクトネスについての反感を公に唱える人の発言が増しているようだ。ポリティカル・コレクトネスではない事を理由に表現規制を求めるリベラルな人々の行為を、ポリコレ棒と揶揄している。ポリコレ擁護者も出現してポリコレ批判者もポリコレ守られているなどと言い出し、賑やかになってきた。しかし、その擁護者も批判者もポリコレ棒で叩いているモノが何かを曖昧にしていて的の絞れない議論になっている。まずはポリティカル・コレクトネスが問題にしているモノを整理したい。
2016年11月12日土曜日
『21世紀の貨幣論』のヤップ島の話の胡散臭さ
『21世紀の貨幣論』の第1章に、ヤップ島の石貨(フェイ;ヤップ語でライ)の話が出てくる。曰く、人間一人で動かすのは極めて困難な重たい石で出来ており、日常的な売買には使えない。ゆえに、債権と債務を帳簿に記録して信用取引が行なわれており、決済時に石貨の所有権を移転している。石貨は、貨幣ではなく与信残高を表す記録に過ぎない。ヤップ島の本当の貨幣は何かと言うと、債権と債務からなる信用取引である。この説明を素朴に信じている人が多いようなのだが、価値尺度と債権譲渡についての考察が全く無い上に、事実関係がとても胡散臭い議論になっている。
他と比較すれば、日本語と朝鮮語はよく似ている
ネトウヨさんの中でも一部だと思うのだが、日本と韓国に大きな違いがあると言いたいばかりに、朝鮮語を片言も知らないのに、日本語と朝鮮語はまったく違う言語だと言い出す人がいる。どうも「朝鮮語と日本語は基本語彙が全く違う」と言う言説が流布されていて、それから想像力を膨らましたようだ。韓国語を学習すれば信憑性がすぐに分かる話ではあるが、そんな気力もないので『日本語と韓国語』と言う本を読んで確認してみた。
2016年11月9日水曜日
貨幣経済の前は、物々交換経済ではなく、統制経済か贈与経済だった
貨幣の歴史は古い。現代の紙幣は、金や銀の預かり証である金匠手形が、17世紀にスウェーデンで国家承認されたのが始まりとされる。鋳造貨幣は、紀元前7世紀にリディア王国でエレクトロン貨が造られている。商品貨幣はさらに古く、紀元前18世紀頃に書かれたハンムラビ法典を見ると銀を商品貨幣として使っていたのが分かる*1。紀元前36世紀のシュメール人も少なくとも価値尺度財として銀を使っていたようだ*2。
商品貨幣が現れる前はどうかと言うと、物々交換が行なわれていたと漠然と考えている人が多いかも知れない。経済学の祖とされるアダム・スミスは、物々交換経済で分業を推し進めると取引コストがかさむので、貨幣が発明されたと主張していた。しかし現代の人類学者はこれを間違いと考えていて、貨幣経済の前に物々交換を日常的に行なう経済が存在したとはしていない。
2016年11月6日日曜日
2016年11月4日金曜日
欅坂46の衣装のどこがナチス・ドイツの軍服に似ていたのか
配偶者に無断で子どもを連れ去って離婚することを支持する家族社会学者
社会学者の千田有紀氏が、親子断絶防止法案を批判しているのだが、共同親権と面会交流に反対しつつ、離婚時に子供を連れ去った上で親権を主張することを支持するものとなっている*1。その理由は、家庭内暴力が理由で別居するときに被害者が子供を連れて行くことが困難になること、養育をしていない親と面会する事が子供に苦痛になることの二つのようだ。強く現状肯定しているのだが、現状を良く把握していない気がする。
2016年11月2日水曜日
企業献金を禁止したら、教会とマフィアの影響力が強くなった
拙速な制度改正は、予想外の結果を生む。ブラジルでは2015年9月に国営石油会社ペトロブラスの贈賄疑惑*1の余波を受けて選挙法が改正されて、政党及び候補者への企業献金が禁止され、個人献金も課税所得の10%以下に制限されたのだが、その結果、2016年の全国市長選は2012年と比較して6割以上献金が減った一方、教会とマフィアの影響力が強くなったそうだ(The Globe and Mail)。
2016年10月31日月曜日
貧困層に出納帳をつけてもらって分かったこと
ネット界隈で貧困問題が熱く語る人は多いのだが、実は良く分かっていない事も多い。低収入なのは確かなのだが、一般に何に幾ら支出していて、どういう遣り繰りをしているのか、分かる統計は意外にないものだ。国際援助を受けている開発途上国でも同様のところがあるのだが、貧困層に出納帳をつけてもらって*1その実態を明らかにした人々がいる。PORTFOLIOS OF THE POOR(邦訳:最底辺のポートフォリオ)は、その成果をまとめたもので、足場のしっかりした議論が展開されている。日本でもテレビ番組で妙な事例を紹介する前に同様の取り組みを行なえば良いと思うのだが、それはさておき、内容を簡単に紹介してみたい。
2016年10月26日水曜日
0.99999…=1の説明で中学生を煙に巻く方法
「0.999999... = 1 が理解できない中学生」と言う秀逸な小噺に、はてなブックマークで多くのコメントが残っていた。元ネタは教師が無限小数における四則演算を説明しなかったのでおかしい事になっているだけなのだが、ネット界隈の数学知識が不安になるものもちらほらある*1。また、中学生にキッチリ説明するのは大変だと言う趣旨のエントリー*2を書いている人もいるのだが、極限を使って説明してしまえば、そうでもないかも知れない。
2016年10月22日土曜日
MITの自称サムライ兄さんによるブーメラン工作及びその物理解説
2016年10月19日水曜日
駅乃みちかの萌え絵のスカートの描写について
公共交通機関に相応しくない絵だと批判を受けて、スカート部分の訂正に追い込まれた「鉄道むすめ」コラボのための東京メトロの駅乃みちかの萌え絵バージョンだが、ネット界隈で規範的な議論が盛んに行なわれている。問題だと思っている人は、(1)表情と姿勢が扇情的であり、(2)スカートの描写が不自然だと主張しており、(a)自然に起こりうる陰影であり性的な意味を見出すのは考えすぎ、(b)社会的に許容範囲内と言う反論がされている*1。そして、東京メトロはスカートの描写を修正するに至った*2。さて、扇情的なポスターが街に溢れているとして、趣味にあわない以上の実害なんて無いだろうと思っている私なのだが、実際にスカートがこのようになるのかは気になって仕方が無いので検討してみた。
2016年10月18日火曜日
SYNC: なぜ自然はシンクロしたがるのか
物理などの自然法則は微分方程式でモデル化されて来たが、非線形になると数学的に解くのは困難になる。しかし、ここ何十年かの間、定期的に非線形系が流行る傾向はあって、1970年代にはカタストロフィー理論、1980年代にはカオス理論、1990年代には複雑系理論が流行ったので、名前ぐらいは知っている人は少なく無いであろう。もっとも、名前だけ知っているが、中身はカケラも知らない人は多いと思うが。そんな人々のための本があったので読んでみた。
2016年10月17日月曜日
同化と他者化 ─ 戦後沖縄の本土就職者たち
沖縄を語る上で、沖縄戦の伝承と米軍基地の縮小を求めて来た歴史を背景にした沖縄県民意識ではなく、琉球民族としての意識に依拠した議論をする人は現実が見えていないと思うのだが、国連の先住民会議に糸数慶子参院議員が出席したりもしており、日本人と異なる琉球民族の存在を主張する人々も一定数は存在する。世論調査などの集計された視点だけではなく、沖縄県民がどういう風に考えているのかは、多面的に考えていく必要があるであろう。そのために丁度良さそうな本が出ていたので、中身をチェックしてみた。
2016年10月14日金曜日
助かるはずなのにホメオパシーで死んだ乳児はいる
人気ブロガーだったイケダハヤト氏がホメオパシーが効くと言い出しネット界隈で非難されて、「ネット民はホメオパシーに親でも殺されたの?」と言い出した。何となく炎上マーケティングな気もするのだが、ホメオパシーに子どもを殺されたと思っている人がいることは、良く認識した方が良いと思う。もう忘れたのだと思うが、山口新生児ビタミンK欠乏性出血症死亡事故のことだ。助産師が引き起こした事故であるため、日本学術会議の金澤一郎東大名誉教授が声明でホメオパシーを非難するに至った。
日銀の政策転換でリフレ派が敗北したと言われる理由
リフレ派の大半は不満のようだが、リフレーション政策が機能しない事は、日銀審議委員の間でコンセンサスを得つつある。インフレ目標値の達成を目指してきた日銀が、目標未達にも関わらず、9月20日の日銀金融政策決定会合で、さらなる量的拡大を諦めた事はその現れであろう。これに関してリフレ派から量的緩和だけがリフレーション政策ではないと言う主張もあるのだが、その主張には無理があるので指摘したい。リフレ派の学者もネット界隈の支持者も、ひたすら量的緩和を主張してきていた。
2016年10月13日木曜日
冤罪発覚による補償に備えるためには、死刑の適用範囲を狭めるだけでよい
日弁連が死刑廃止を目指す宣言を採択したことから、死刑制度の是非に関するツイートが増えたようだ。倫理学者の児玉聡氏も「死刑を廃止すべきか」で、倫理学的な考察ポイントを整理している。これらの議論を読んでいると、死刑廃止論の有力な根拠として、死刑執行後に冤罪が発覚しても本人には何も補償できない事が念頭に置かれているのだが、刑事訴訟で再審請求の可能性が無い事件がありうることが見落とされている。冤罪の可能性がゼロの事件がある限り、死刑制度の廃止まで求める必要は無いはずなのだが、そこは疑問に思われないようだ。
2016年10月11日火曜日
ノーベル経済学賞受賞者が考えた完備契約が全員を不幸にする事例
アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞に、オリバー・ハートとベント・ホルムストロムが選ばれた。ネット界隈では有名ではないらしいが、今までの受賞者のほとんどと同じように、経済学で学ぶものであれば誰しもが何度も名前を目にしてきた大物である。
さて、契約理論への貢献と言う受賞理由から、契約理論が何であるか日本語資料が読みたいと言う人は多いと思うが、既に立派な紹介論文*1があるので言うことが無い。そこで、彼らがある種の市場原理主義の批判者であることが分かる簡単な例があるので、ちょっと改変して紹介してみたいと思う。グラスゴー大学の林氏が良く言及しているHart(1975)のSection 6のExample 4である。
2016年10月9日日曜日
【ネタ】シン・ゴジラをつまらなくする視点【バレ】
8月は大人気上演中のシン・ゴジラのシーンを枕に現代日本を語ってしまう人々が続出していたのだが、10月に入って落ち着いたようだ。なぜか感想を書いてくれと言う人がいて、そろそろネタバレも許される頃であろうから、シン・ゴジラをちょっとつまらなくする視点を提供したい。石破元防衛相が防衛出動ではなく災害派遣が法的に妥当であると指摘しているが、もっと分かりやすいところにリアリティが無いところがある。それが何かと言うと、距離感だ。距離感が無い。
日本のリベラルがネットの論争で負ける理由
インターネットでの論争に勝ち負けがあるのかと言うツッコミがしたくなるが、ネットを中心に活躍しているジャーナリストの津田大介氏が対談で、「ネット上の争いでは、リベラルは99%負ける」と主張していた*1。曰く、リベラルは主張の多様性を認めるが保守派は排他的であり、関係が非対称なのでネット上の論争でリベラルが保守に勝つことは難しいそうだ。しかし、津田氏が言うリベラルが何かを考えると、それ以前の問題でリベラルが論争に勝つことはあり得ないように思える。
2016年10月7日金曜日
採用面接よりは実技審査
書類審査の他に面接が採用で重要な役割を果たす企業は多いと思うが、心理学者のRon Friedman氏が採用面接よりは実技審査の方が機能すると主張している(World Economic Forum)。
曰く、8割の応募者は嘘をついているし、面接官は容姿や声に偏見を持っているので、採用面接は機能しないそうだ。容姿端麗だと競争力がありそうに思え、高身長だとリーダーシップがありそうに思え、低い声だと信頼できるように思えるらしい。これらの偏見は質問内容に影響することから、応募者が一言も発しないうちから、面接結果に影響を及ぼすそうだ。
2016年10月3日月曜日
蓮舫議員の「二位じゃダメなんですか?」を再考する
ネット界隈では嫌われている蓮舫氏だが、その理由として事業仕分けのときの高圧的姿勢をあげる人は多い。蓮舫氏が民進党の代表になったことから、自民党議員も「1番でないと絶対ダメ」と当時を意識した発言をして、有権者にアピールしている(朝日新聞)。安倍政権で科学技術関係予算を世界一の額にしているわけではないので自滅行為な気がしなくも無いが、それはさておき、伝説となった次世代スパコンに関する「二位じゃダメなんですか?」を振り返ってみよう。
社会学者が功利主義への誤解を振り撒く
また社会学者かよと思ったかも知れないが、また社会学者である。現代思想2016年10月号の社会学者の大澤真幸氏が、相模原障害者殺傷事件に関して「この不安をどうしたら取り除くことができるのか」と言うエッセイを載せているのだが、勘違いに基づく功利主義批判が展開されている。つまり、良くある功利主義批判と視点が逆の事を言っているので指摘したい。
2016年9月27日火曜日
ネットで心が折れないための10の作文技法
ある社会学を学んだ女性エッセイストが、ネットで集中的に非難を浴びて、つまり、炎上して心が折れて自殺したくなったと言っていた。ネットの住民を批判したげではあったが、控えめにいっても彼女の文章は隙だらけで、それが理由で炎上を招いていたように思う。作文にある隙をなくせば、炎上を防止し、心が折れないようにする事は可能であろう。彼女のようなメンヘラ状態にならないために、最低限、努力した方が良いと思う点をまとめてみた。
2016年9月25日日曜日
2016年9月18日日曜日
人々にワクチン接種をさせる方法
ワクチン接種は病気を予防し程度を抑えるモノなので、個人が自己責任ですれば良いと思うかも知れないが、公的に強制もしくは奨励する意義は色々とある。子どもが自分で情報を集めて予防接種するのは無理であろうし、保護者もその重要性に気づかないことが多いであろう。また、全ての人が予防接種ができるわけではない。生まれた瞬間は誰しも無防備だし、虚弱体質でワクチン接種ができない人もいる。だから、免疫力のある個体を増やして流行を抑えることは社会にとって重要だ。しかし、どこの国にもワクチン接種を拒絶する人々は一定数いて、問題になっている。ワクチン接種拒絶者にどう接するべきであろうか。
2016年9月15日木曜日
2016年9月12日月曜日
社会学者の卵の古谷有希子の統計知識の問題点
「仲間内では実証主義者め!とジョークで笑われている」社会学者の卵の古谷有希子氏に、前のエントリーで収拾したデータを不適切に扱っている上に、仮に分析が適切でも結論を支持するものにはならない事を指摘したら、「データの信頼度なんて人命や人権に比べたらクソくらいの価値」と言い出した。社会学イデオロギーの存在を主張している私から見ると良い事例なのだが、それはさておき危うい統計学の知識を披露し続けているので、指摘したい。周囲の社会学者は彼女の不満に同意するだけで、何も突っ込まれない裸の女王様状態になっているようだ。
数学の有用さを語る前に読んでおきたい「実験数学読本」
定期的に、数学は何の役に立つのかと分からないと言っている人の話を見かける。四則演算ぐらいならば万人が使うし、多少は高度な解析学や線形代数も研究職や技術職ならば避けては通れないのは周知なのではあるが、そのような発想にいたった理由も分からなくも無い。数学が独立した科目として成立しているため、学習中に現実の事象との接点が見えないのであろう。なお悪い事に高校までの物理は、なるべく数学に依存しないように工夫をしてしまっている。数学は何かと役立つと力説していても、実際に自分が数学と現象をどれぐらいつなげられるかを考えたときに、心もとない人々は少なくないはずだ。
2016年9月10日土曜日
日本は共働き社会になっているし、北欧も男性が稼ぎ手である
社会学者の筒井淳也氏が『なぜ日本では「共働き社会」へのシフトがこんなにも進まないのか?』と言うエッセイを出していて、日本は仕事と家庭の両立支援制度が弱く労働規制が緩いため未婚化が進んでいると主張していたのだが、(1)日本は「共働き社会」へのシフトが進んでいない、(2)北欧などで「男性稼ぎ手モデル」が無くなった、(3)男性所得が不足していると言う前段部分が、事実認識がおかしいか、説明不足になっている気がするので指摘したい。
2016年9月7日水曜日
社会学者の卵の古谷有希子のデタラメな数字について
ask.fmで「強姦被害者を黙らせる日本 女性を抑圧する社会ほど、強姦事件の認知件数が少ないことを示すデータ」と言う社会学者の卵の古谷有希子氏のエッセイについてどう思うか質問を受けたので、古谷氏が収拾したデータを著しく不適切に扱っている上に、仮に分析が適切でも結論を支持するものにはならない事を指摘したい。社会学としては問題ないのかも知れないが、社会科学としては一般誌向けの記事としても問題であろう。
2016年9月3日土曜日
チケット転売反対の真の目的
アーティストが連名でチケット転売に反対を表明するサイトが作られ、それを契機にチケット転売に対する賛否が表明されている。一般の経済学の文脈においての分析の紹介は大阪大学の大竹文雄氏が詳しく紹介されている*1が、それらとは違った視点で考えてみたい。何故、このような反対声明文が作られたのであろうか?
2016年8月31日水曜日
リフレ派が書いた学説史「不平等との闘い」
明治学院大学の稲葉振一郎氏の『不平等との闘い』をざっと読んだので、紹介と言うか難癖つけて行きたい。
本書は、どちらかと言うとマルクスなど思想史の方に親しんでいてマクロ経済学を専門としていない著者が、資本所有における不平等の解消の必要性と方法を考えた意欲作。どちらかと言うと実証的な議論が多く紹介されていて、規範的な議論は薄い。経済学史なので、統計的な話もほぼ無い。資本の初期分布がマクロの生産に影響すると言うアイディアが、(1)古典派経済学、(2)マルクス経済学、(3)新古典派経済学、(4)不平等ルネサンス(1990年代ぐらいからの新古典派経済学)、(5)最近のピケティでどのように扱われてきたかを、資本市場の有無と技術進歩を鍵として見ていく部分が主だと思う。そして、どさくさに紛れてインフレーションによる物的資本の格差の解消を主張している。
2016年8月22日月曜日
会計がどう社会に受容され、どう歴史に影響して来たかが分かる「帳簿の世界史」
一部の界隈で評判が良かったので、簿記技術や会計制度の発達史を期待して「帳簿の世界史」を読んでみた。帳簿とその監査で構成される会計がどう社会に受容され、どう世界史に影響して来たかが書かれていた本。経済危機に関心がある人には、興味がそそられる逸話が多く紹介されている。原題は「決算 - 財務説明責任と国家の興亡」と言った感じで内容にあっているのだが、これでは売れないと思ったのか、出版社もしくは訳者の意向でちょっとミスリーディングなタイトルになっていた。こういうわけで、会計制度の発達については少し言及されるが、ほとんど説明はされない。