朝鮮日報の記事にある元従軍慰安婦の李容洙氏の証言が話題を呼んでいる。「満16歳の時に英語も分からないまま日本軍に連行されていった」と言うもので、なぜ英語が分かる必要があるのか憶測を呼んでいた。しかし、騒ぐほどの事ではなかった。単なる誤訳だそうだ。「わけも分からないまま」が正しいらしい。かなりの人が騙されてしまっているが。
2015年4月29日水曜日
2015年4月24日金曜日
「ロスの知人」のエミコヤマdisについて
立派な人でも筆が滑ることはある。従軍慰安婦問題で著名な秦郁彦氏の雑誌『正論』2015年3月号に掲載されたエッセイで、活動家のエミコヤマ氏について誤解が並べられていた。「ロスの知人から届いた情報によると」から始まる四段落(P.113 中段)なので「ロスの知人」がニュース・ソースなのだと思うが、少なくともこの問題に関しては信頼はしない方が良かったようだ。意見を両極端に分類し、党派的対立構造を作ろうとしている。
2015年4月23日木曜日
2015年4月21日火曜日
あるマルクス経済学者のプロパガンダ(16) - 功利主義で妥協できないのか?
マルクス経済学者の松尾匡氏の連載『理性による自己支配という自由概念の恐怖──リバタリアンは消極的自由論に徹しているか?』が出ていた。ここ3回は「自由」についての話が続いていて、「リバタリアン的な立場に立ちながら」「福祉政策や不況対策が正当化できる理屈づけ」を模索している。前回では「自由」の定義を摩り替えることが提案されていた。今回は集団主義的な「理性」を前提にした自由が集団による暴力に転化する危険性に言及した上で、リバタリアンの主張がその解決になる事に触れたあと、現代社会はリバタリアンの想定とは異なっていると指摘している。用語の使い方に違和感があるのと、功利主義を押し付けた方が楽に議論できる気がして仕方が無い。
2015年4月20日月曜日
2015年4月16日木曜日
何が狂っているのか分かる「フランス現代思想史」
フランス現代思想に詳しい文芸評論家が社会問題等を語るのを見て、稚拙に感じた人は多いのでは無いであろうか。「脱構築」な聞きなれない単語を並べて来る一方で、歴史や制度や技術に関する知識が心もとない。一方で、論理が飛躍するし、矛盾した主張もされることがある。断片的な知識を入れると、言葉の端々から連想される結論に飛びついてしまう。ほんわかしていて批判に備える殺伐感が無い。
2015年4月13日月曜日
ノビー、村上春樹の問題意識は間違っていないから
経済評論家の池田信夫氏が、小説家の村上春樹氏の反原発の弁に誤解に基づく難癖をつけている。村上氏の発言も、費用便益分析も、現地事情も理解していないようだ。
まず、『村上のような人々が「被災地を除染して放射能を1mSvにしないと帰宅させてはいけない」と言い張っている』とあるのだが、村上氏が除染をどこまですべきか主張した形跡が見つからない。「村上氏のような人々」に村上氏が含まれないのかも知れないが、原子力政策の是非と放射線防護の適性水準は別の議論なのだから、二つに関して同じ主張をするとは限らない。
2015年4月8日水曜日
福島の外側で正常化できた人とできない人
エッジが立ったガチ教科書だった「父が息子に語るマクロ経済学」
マクロ経済学者の齊藤誠氏の「父が息子に語るマクロ経済学」を、ふとした切っ掛けで手に取ってみた。タイトルから議論の踏み込みの甘い啓蒙書かと思っていたのだが、想像とは大きく異なるものになっていた。父と子の対話でカジュアルなイメージを醸し出してはいるが、内容はしっかり標準的なマクロ経済モデルに基礎を置いている。また、いわゆる教科書と比較すると、モデルの選び方やデータにつけた注釈に個性や主張があって、かなりエッジが立っている一冊になっていると思う。