マルクス経済学者の松尾匡氏の連載「リスク・責任・決定、そして自由!」の最終回「新観念創造者としての自由と責任――突然変異と交配、そして淘汰」を拝読した。マルクスの唯物史観を説明するために、生物進化論と言うか経済物理学なモデリングが説明されている。ライフゲームの応用のような感じだが、こういう議論があっても良いであろう。しかしモデルの詰めが甘いので、モデルが結論をサポートしているように思えない。むしろリバタリアンこそが正しいと言った結論にすら読める。
2015年8月31日月曜日
2015年8月29日土曜日
あるマルクス経済学者のプロパガンダ(20) ─ 連載を通じて違和感があるところ
マルクス経済学者の松尾匡氏の連載「リスク・責任・決定、そして自由!」の「最終回を読む前に――これまでのまとめ」を拝読した。今まで記載事実の正確性や、近経モデルの前提や解釈について突っ込んできたわけだが、今回は率直に感想を述べてみたい。近代経済学などの用語やモデルを摘まみ食いしつつ言葉をこねくり回しているだけで、まともに経済学の素養がある人を説得しようとする意欲に欠けている。プロパガンダとレッテルを貼っておいて言うのがはばかれるのだが、世間に誤解を生みそうなので専門用語やモデルをもっと丁寧に慎重に扱って欲しい。
中高の教育で( )の子に( )、( )、( )を教えて何になるのか
「高校教育で女の子にsin、cos、tanを教えて何になるのか」と言われたら、中学数学がぬるいと言う意味に捉える国語力の私だが、世間の人はそうは考えないようだ。この発言をした鹿児島県知事は世間から批判され、発言を撤回した(朝日新聞)。
SNSで観察した限り、二つの点が問題にされていた。一つは、男女別教育を前提としており女性蔑視が見られる点、一つは、三角関数の重要性を認識していない点だ。これらの批判は妥当だと思うが、知事のような発想をする人は少なくない。教育内容の正当化が、十分に行われていないからだ。
2015年8月19日水曜日
あるマルクス経済学者のプロパガンダ(19)
マルクス経済学者の松尾匡氏の連載『リスク・責任・決定、そして自由!』は、今まで実証的な議論が展開されて来た。近年の日本では流動的人間関係の社会システムが指向される一方で、固定的人間関係に適応した倫理を強化しようとしてきたが、これが悪い結果をもたらすと主張している。この連載における倫理は実践される社会ルールであって、実証的なモノだと言うことが分かる。ロールズの議論も『「自分の身にも将来降り掛かってきかねない」というリアリティ』が失われて力を失ったと、実証的に退けている。
2015年8月18日火曜日
銃・病原菌・鉄と言うより、農牧業の発生と波及、その影響
『銃・病原菌・鉄』はSNS上でよく言及される信奉者が多い、歴史学もしくは文化人類学の名著で、世界の文明の発達の違いを説明した本だ。内容はエピローグを読めば分かるのだが、大陸ごとの自然環境が大きく影響したと主張されている*1。
近世以降の征服者と被征服者を分けたものは、鉄器や銃や文字などの技術の差と、病原菌への免疫力の差であった。少数のスペイン人が南米を征服できたのは、軍事技術の差は勿論のこと、持ち込んだ感染症が現地社会を壊滅させたことが大きな理由である。
あるマルクス経済学者のプロパガンダ(17)(18)
放置していたのだが、マルクス経済学者の松尾匡氏の連載『「生身の個人にとっての自由」の潮流の中のマルクス』『マルクスによる自由論の「美しい」解決』を今更、拝読してみた。マルクス経済学を学んだ事も無いし、マルクス哲学を位置づけられるほど哲学を学んでいるわけでも無いから、未知の世界に突入していて批評不能になっている。「疎外」や「物象化」と言った単語の簡単な説明になっているから、マルクス経済学の雰囲気の紹介になっている事は分かるのだが。今まで見てきたので感想だけを書いておきたい。