日弁連が死刑廃止を目指す宣言を採択したことから、死刑制度の是非に関するツイートが増えたようだ。倫理学者の児玉聡氏も「死刑を廃止すべきか」で、倫理学的な考察ポイントを整理している。これらの議論を読んでいると、死刑廃止論の有力な根拠として、死刑執行後に冤罪が発覚しても本人には何も補償できない事が念頭に置かれているのだが、刑事訴訟で再審請求の可能性が無い事件がありうることが見落とされている。冤罪の可能性がゼロの事件がある限り、死刑制度の廃止まで求める必要は無いはずなのだが、そこは疑問に思われないようだ。
再審請求で無罪を勝ち取るには、実際のところ自白を含む証言が偽証、もしくは証拠が捏造である事が示されるか、新たな証拠が発見されることが必要になる。冤罪事件は物証が乏しく自白に頼った判決に多い*1。足利事件でDNA鑑定の精度が問題になったが、それも最初に犯行を認めた自白が大きく影響していたのは間違いない。物証が十分に豊富なケース、ノルウェーのウトヤ島銃乱射事件のように犯人が自明の場合は、刑が確定後に再審請求の可能性は無いだろう。
冤罪発覚による補償に備えるためには、冤罪が生じうる事件において死刑を回避すれば十分である。つまり、検察の主張が正しい場合に死刑に該当する凶悪事件で、物証に乏しい場合に終身刑とすればいい。法の運用を考えれば、死刑廃止よりも証拠の強さに応じて死刑の適用範囲を狭める方が困難であろう。疑わしきは罰せずと言う建前を捨てて、疑わしいだけで罰する事を認める事になるからだ*2。
なお、この観点だけで死刑制度の是非には結論が下せないので悪しからず。
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