ネット界隈では嫌われている蓮舫氏だが、その理由として事業仕分けのときの高圧的姿勢をあげる人は多い。蓮舫氏が民進党の代表になったことから、自民党議員も「1番でないと絶対ダメ」と当時を意識した発言をして、有権者にアピールしている(朝日新聞)。安倍政権で科学技術関係予算を世界一の額にしているわけではないので自滅行為な気がしなくも無いが、それはさておき、伝説となった次世代スパコンに関する「二位じゃダメなんですか?」を振り返ってみよう。
1. ただひたすら計算機であるスパコンと言う存在
国内にある一つのスパコンの速度が、あるベンチマークで世界一である事自体に、大きな意義があるわけではない。実際に使うアプリケーションのスループットの方が重要になるし*1、利用者が多くて混雑するのであれば、高い一台よりも安い十台の方が使い勝手が良いこともある。値段は十分の一で速度は半分のようなスパコンも良く自慢されている。
スパコン自体には技術的な波及効果は無い。既存の要素技術を組み合わせて開発するモノだからだ。PlayStation 3を大量に用いた計算機クラスターが良く紹介されていた時期があるが、最近はPCゲーム用途で急速に進歩したGPUに並列演算させるのが流行っているようだ。大昔からこの傾向があり、実はプロセッサの採用はPCの方が早い。要素技術の発達を促す効果が無いばかりか、要素技術の進歩によってすぐ時代遅れになるのがスパコンだ。
2. 目的の正当性が疑われた次世代スパコン計画
スパコンはこういう性質を持った道具なので、何に使ってどういう成果があるのか明確に意識して導入すべきと言うことになる。何十台もトップ100に入るようなスパコンを抱える米国の場合は、核兵器や軍用機の開発などそれぞれの用途ははっきりしている。一方で2010年に議論になった日本の次世代スパコン計画において、明確かつ説得的な計画があったかと言うと、実の所はそんな事がなかった。ベンチマークで一位を取ることを目的としていたからだ。
東京大学の金田康正教授によると、そもそもスパコン技術の伝承や利用環境の発展といった目標があったそうだが、どこかで消えてしまったらしいし、要素技術に問題点があると考えられていた(IT Pro)。「ゲリラ豪雨を予測するには積乱雲の発達を計算する必要があり、これには天気予報で使う地図のセルを100倍にする必要があるので、100倍速いスパコンを作ってください」と言うような理由を聞きたかったわけだが、そう言うのは用意されていなかった。
当時、若手通産官僚だった宇佐美典也氏は、政治サイドから一位を目指すように目標が定められてきたのに、その前提から崩してきたと蓮舫氏を非難している(宇佐美典也のブログ)が、演算能力が一時的に世界一であることに、どんな意義があるのか考えてこなかった官僚の皆様は間抜けとしか言いようが無い。宇佐美氏は蓮舫氏の質問を素人の疑問レベルと批判しているが、むしろ蓮舫氏のこの質問を呼び込んでしまった官僚が素人レベルである。
「世界一を取ることによって夢を与える」と言われたら、「二位じゃダメなんですか?」と聞き返したくなる。子供だってゲーム・コンソールを買うときにどんなゲームをしたいか主張する事ができるのに、なぜ官僚の皆様はどんなアプリケーションを次世代スパコンで動かしたいと言えなかったのであろうか。次世代スパコンを使う研究で世界一の成果を出したい理由こそが訴求力を持つ。
3. 次世代スパコン「京」のその後
衆目の関心を集めた事があって、理研も積極的に利用事例を示している事もあり、次世代スパコン計画のその後の展開は広く報道されている。しかし、瞬間的に一位であったことが研究成果にプラスに寄与したことを報じるものはない。そもそも一位であった時期はそう長くない。振り返ってみても、速い計算機クラスターが必要だっただけで、その世界ランキング自体には特に意味が無かったわけだ。また、ここ一年間でポスト「京」の計画が報道されるようになっているが、今のところは世界一位を謳っていない。「京」の存在意義がなくなるわけでは全く無いが、「京」の存在意義の示し方には問題があった事がわかる。
4. 事業仕分けの意義と問題点
政府は色々なプロジェクトを走らせているのだが、あの事業仕分けまでその目的をはっきり認識しないで推進してきた事が多かったのだと思う。それを国民の前に曝け出したと言う意味で意義がある。もちろん、非が無いわけではない。あれだけで予算を再編成しようとしたのは稚拙であった。
- 必要性を説明できないことは、不必要である事を意味するとは限らない。官僚が必要性を評価して来たのであれば、そう考えても良いかも知れないが、当時官僚であった宇佐美氏のエントリーからはそうは伺えない。官僚が上手くプレゼン出来ない事からは、何もうかがい知る事が出来なかった。
- プロジェクトは複数関連しているので、プロジェクトの全体像を把握せずに、個別に評価しようと言うのは無理があった。例えば「小学校英語」と言う政策を維持したまま、その教材である「英語ノート」の廃止が決定されるなど、全体としてチグハグな状態になった(関連記事:英語ノートの存続に見る、事業仕分けの稚拙さ)。
結局、事業仕分けで一旦廃止が決まった予算の大半が、その後、復活している。民主党が埋蔵金と言う妄想を当てにしていたので余裕が無かったのだと思うが、派手な成果を期待せずに地道にやるべき作業であったのは、間違いない。その問いかけ自体は正当なのだが、それを表現した場が良くなかったと思う。また、同じ台詞であっても、井上喜久子ぐらい柔らかな発声を心がけた方が、世間の印象は良かったであろう。
*1LINPACKなどのベンチマークは単純過ぎて、実アプリケーションの性能を表さないと良く批判されている。少し前のベクトル演算プロセッサを使った地球シミュレーターは実行性能が良いことが自慢されていたし、現在「最速」の中国の神威太湖之光は実行性能を疑われているようだ。実際、まだノード数を追加できそうとは言え、Graph500と言う複雑な方のベンチマークでは、もう古いシステムである「京」に後れを取っている。
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