2010年10月2日土曜日

英語ノートの存続に見る、事業仕分けの稚拙さ

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賛否両論が別れる行政刷新会議の「事業仕分け」の結果だが、一つだけ明確に問題があると言える部分がある。英語ノートの無償配布の廃止だ。

2009年11月に、政治主導による廃止提言がされ、2010年9月に復活が行われた。つまり、英語ノートは事業仕分けが全く無駄だった部分になる。

この国家予算の中では相対的に小さな事業への姿勢が、民主党の政策立案能力の稚拙さを表していたので、少し詳細に経緯を辿ってみたい。

1.「小学校英語」から始まる混乱

日本人は英語が苦手だが、このままでは国際社会で問題が出ると、ずいぶんと長い間、言われている。英語学習は早い方が良いという考えがあり、オランドやドイツなどでは小学5年生から英語を教えるので、それに習おうという動きがあった。

賛否両論あったものの、2009年から新学習指導要領では小学校5・6年で週1コマ「外国語活動」を実施することとなった。2011年からは必修となる。ただし、日本では大半の小学校の教員が英語ができない為か、教科ではなく外国語活動として位置づけられており、語学教育としての効果も期待されていない。

しかし位置づけはともかく、従来は教えてこなかった英語を教えるのだから、現場の混乱は避けられない。英語教員の資格を持つ小学校教員は3%に過ぎないし、大半の教員は中学校から英語を習っているわけで、小学生のときに英語を教えられた経験もない。

2. 文部科学省は「英語ノート」を現場に無償提供した

そこで文部科学省は、「英語ノート」というテキストを出すという対策を練りだした(読売新聞)。リスニング用のCDと、指導資料も用意されている。利用は必須ではないのだが、今まで英語教材の選定もしたこともなく、指導法も確立していないため、教員には大変有用な貴重な教材であるようだ。

小学校英語が始まった春には、ほとんどの公立小学校が採用し、250万冊が配布された(読売新聞)。英語ノートの内容については、日教組や一部の英語教育の専門家から問題点が指摘されているものの、むしろ良く出来ているとの論評も見かける。

以上の経緯からすると、英語ノートは小学校英語を推進するためのツールであり、両者は一体だと考えるのが妥当だ。

3. 30分の事業仕分けで英語ノートの無償提供だけが廃止

事業仕分けは公開されていたこともあり、民主党の蓮舫氏の、『なぜ小学校で英語を教えなければならないのか』『デジタル化し使いたいところが使えばいい』という指摘を覚えている人は多いであろう。

予算をディフェンスできなかった官僚も情けないのだが、2009年11月に、あっさり廃止が提言されることになった。なお、英語ノートの無償提供事業は、全国で総額8億5000万円の事業に過ぎない。

4. 現場が混乱し、英語ノートの無償提供が復活する

当然、「小学校英語」というプロジェクトを遂行するための道具を失った現場は大混乱に陥る。

もちろん学校側で英語ノートを用意することもできるのだが、国がまとめて印刷した場合は1冊あたり40円程度で済むのだが、教育委員会や学校側が印刷した場合は120~160円かかるそうだ。またデジタル配布するには権利関係の問題があり、さらにコストがかかると見込まれた。

小学生一人当たりの教科書費用は2010年で3,122円で、120円は大きい金額ではない。しかし、校長代表らが文部科学省に継続を直訴し、350件の廃止反対意見なども寄せられたので、2010年9月に文部科学省は、英語ノートを復活させる決断を下した。

5. 小学校英語と英語ノートは分離不可能な同一のプロジェクト

事業には、分離不可能な最小単位、つまり原子性がある。小学校英語と英語ノートで一つのプロジェクトであったわけで、英語ノートだけ廃止は現実的にはありえなかった。

民主党の取りうる選択肢としては、(1)無償提供の存続、(2)有償提供へ切替、(3)小学校英語の廃止の三つがあったはずだが、「無償提供の廃止」という、その後の「小学校英語」の運営を全く考えない決断が下されている。民主党は、何も教材無しで英語教育が可能だと思ったのであろうか?

もし、英語ノートの配布を続ける一方で、地方自治体か保護者が費用を負担しろという議論であれば、もっと現実的であった。実際、教科書は無料であっても、教材費は徴収されている。しかし、無償提供廃止のみが決定され、すぐに覆された。

6. 事業の経緯を知ろうとしない人が、事業削減の判断を下すのは問題

事業の経緯を確認しつつ、その事業の可否を考えていけば、上述の原子性の問題にも気づくであろうし、小学校英語の必要性についても民主党としての見解が出されるはずだ。しかし、この点については発表や報道は無い。

小学校英語の廃止を決定すれば、現場の混乱は無かったと思われる。しかし民主党は、教育政策の観点から英語ノートを位置づけていなかったので、両者が連結している事に気づいていなかったようだ。事業自体の意義や目的には関心が一切なく、事業を削って予算を減らすパフォーマンスをしたかったと考えざるをえない。

7. 政治主導の廃止が、官僚主導で覆され、事業仕分けの効果は大きくない

英語ノートの無償提供の復活でも分かることだが、パフォーマンス優先であるので、最後に必要性を訴えられると、方針を戻さざるをえないようだ。

約1.7兆円が見直し・国庫返済との判定になった第1回の事業仕分けだが、実際の政府予算では約9,662億円の削減にとどまった。事業仕分けで1兆円弱の無駄を減らせたと理解する事もできるが、7000億円が単なるパフォーマンスであったと批判もできる結果だ。

8. まずは政策目標の確認と取捨選択が必要

国家事業は、それぞれの政策目標から出てきている。つまり、事業仕分けは、政策目標を確認して、政策目標が妥当なものかを検討し、政策目標に合致した事業なのかを確認することだと思われるが、民主党が政策目標を確認している形跡は見られない。後で廃止が覆る事業が多いのは当然だ。

まともに仕分けをして、国家予算を削減したいのであれば、個別の事業の裏側にある政策目標の確認をするべきだ。例えば、小学校英語は賛否両論ある教育政策だ(産経ニュース)。「英語力向上を期待できないので、小学校英語は廃止する」と宣言していたら、「英語ノート」の廃止に誰が反論できていただろうか?

1 コメント:

nobuo_sato さんのコメント...

全面的に賛同できる。
特に6.7.8.項は強調されてよい。

また、書類が山積みされた事務所をマスコミに公開し、いかにも充分な調査を基に事業仕分を行っているかのように見せようとする言動を不快に感じている。

あれほど多くの事業について、これまでの経緯・背景を知らない僅少の仕分人が、短期日で8項を踏まえた仕分などできようはずがない。
政策目標は各人の主義・主張により異なり多様性がある。大抵の場合、どちらが正しいとは言えないのが事実だ。
政策目標が妥当なものかを検討するだけでも難作業なのに。

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