インターネットでの論争に勝ち負けがあるのかと言うツッコミがしたくなるが、ネットを中心に活躍しているジャーナリストの津田大介氏が対談で、「ネット上の争いでは、リベラルは99%負ける」と主張していた*1。曰く、リベラルは主張の多様性を認めるが保守派は排他的であり、関係が非対称なのでネット上の論争でリベラルが保守に勝つことは難しいそうだ。しかし、津田氏が言うリベラルが何かを考えると、それ以前の問題でリベラルが論争に勝つことはあり得ないように思える。
米国流の保守対リベラルと言う構図、盲目的に日本に適用しているのがおかしいとは思わないのであろうか。米国は連邦政府の権限が拡大していく歴史があり、またキリスト教国なので保守が何なのかは説明しやすく、それに反対する立場としてリベラルが存在しうる。欧州でソーシャルに分類されるようなモノも、米国ではリベラルになるわけだ。日本の場合、明治維新とサンフランシスコ平和条約によって守るべきものは既に粉砕されて残っていない。実は保守と言いつつ、55年体制の体制側でしか無い現実がある*2。つまり、社会主義者・共産主義者など革新勢力と対立するグループを、保守と呼んでいるに過ぎない。
保守対リベラルと言う構図を日本に持ち込むと、リベラルは反・反・革新勢力、つまり革新勢力になってしまうわけだ。冷戦終結で、これらは壊滅した考え方である。勝てるわけが無い。リベラルを自認する人々の多くは社会主義者や共産主義者とは考え方が異なると言いたいであろうが、自己の思想的な方向性も良く分かっていない。実際、津田氏もリベラルが相対主義*3だから論争に弱いと言っているが、共存できない考え方は幾らでもあるわけで、論争以前に相対主義である事自体が問題だと気づいていないようだ。動物愛護団体は動物虐待を容認できないであろうが、厳格に家畜を物産と捉える立場からすれば虐待するのも個人の勝手である。功利主義者のピーター・シンガーはリベラルを自認しているが、相対主義を明確に批判している。リベラルが相対主義であると言う事は、リベラルは何物でも無いと言うことになる。
日本においてリベラルと言ったときに、その思想的背景は足元が弱いモノになっていて、この津田大介氏の対談からもそれが分かる。日本でリベラルを自認する人々がネットの論争で弱いのは、こういう風に何か良さそうだと思ったことをゆるふわ思考で主張しているだけだからでは無いであろうか。そもそもインターネットでの論争に勝ち負けは無い。負けたと思っているとすれば、それは自分の論に甘さがあったことを自覚するときだけになる*4。
*1「ネット上の争いでは、リベラルは99%負ける」 津田大介さんが訴える政治運動の姿とは
*2日本会議などが保守的な家族観を主張しているが、それは伝統的なものではないし、保守的な人々に広く受け入れられているとは言えないであろう。韓国嫌いのネトウヨの人々を保守とレッテルを貼る人もいるが、嫌韓論は保守的な思想から演繹されるようなものでは無いであろう。自尊心の現われとしての愛国心を保守思想と規定してよいとは聞かない。
*3多文化共生主義と言うよりは、道徳的相対主義の方が用語の通りが良いように思える。
*4自覚できない人は無敵の被ブロック王として君臨し続ける事が可能である。
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