何事にもルーツが気になるのは人の性で、日本民族の出自もそれなり話題になる。それを辿るのは人類学と言うことになるが、分子生物学の発展によって、ここ数十年で色々とその知見は更新されて来た。民族の血統に関してもそうだし、その民族が栽培・飼育してきた農作物や畜産物についてもそうである。広い範囲のこのような知見をつなぎ合わせて、ユーラシア大陸全体の大きい絵を描写しようと試みた本が出ていた。「食の人類史」だ。
著者の佐藤洋一郎氏は日本への稲作伝来についての研究をして来た農学者で、縄文時代にも中国から伝来した稲作があったと言う内容の対談記事がネット界隈で話題になったこともあった。「朝鮮半島を経由せずに直接日本に伝来したルートがある」としか言っていないのに、むしろ「ごく初期の水田は、縄文人が朝鮮半島を訪れ、そこで目にした水田を見よう見真似で作ったものではないかと思っている」と言っているのに、朝鮮半島経由で水稲栽培技術が伝わった事を否定していると、一部のネトウヨの皆様に誤解されていて気の毒な事になっているのだが。
それはさておき、本書では著者はユーラシア大陸で食物がどのように確保されてきたのかを整理している。(1)狩猟・採取、(2)農耕、(3)牧畜の三つの生業と、(a)アジア夏穀類ゾーン、(b)麦農耕ゾーンの二つの地域で分類を行なっており、それぞれの関連についての説明がある。ジャガイモ、アルパカ、ソルガムは出てくるけれど、アフリカ大陸とアメリカ大陸で農業がどうはじまってどう展開されたかのような話は無いので、意外にグローバルな話では無い。かと言って、上述の日本への稲作伝来のような地域事業について詳しく説明されているわけではない。ユーラシア大陸の「食の人類史」となっている。
大きな絵の話をしているのだが、栽培化や家畜化で遺伝的多様性が低くなること、人口支持力の低い照葉樹林の地域から稲作が始まった事など恐らく常識的なことから説明されている一方で、ある程度の農業知識が求められている部分が所々ある。例えば稲の北限の話で、稲が日長で開花することから単に気温で北限が定まらないことを強調しているのだが、日本でも一部の地域でそうであったが、フィリピンやタイで年に何回も収穫している理由が素人には気になって仕方が無い。「日本が米社会であったという幻想」(p.214)などとあっさり書いてあるのだが、それが幻想である理由は少しでも良いから説明して欲しかった。
著者のバックグラウンドからしてか、漁業については記述が薄い。終章の食糧生産の持続可能性についての議論はとってつけたような感じもする。もっともユーラシア大陸の食の人類史を俯瞰する意味では、特に大きな支障は無い。また、インディカ種にもモチ米はある(p.121)など、知らない事は色々とあった。牧畜をやっていた騎馬民族と農耕民族の対立・補完関係についての考察などもあって、中国史好きには面白いかも知れない。他には「銃・病原菌・鉄」*1や「魚で始まる世界史」などが好きな人は気に入ると思う*2。
*1関連記事:「銃・病原菌・鉄と言うより、農牧業の発生と波及、その影響」
*2関連記事:「魚で始まる世界史: ニシンとタラとヨーロッパ」
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