思想家の内田樹氏の「経済成長の終わりと贈与経済の始まりについて」に対して、カエルの卵氏が「反・贈与経済論」で反論しているが、的を射ていない気がする。
内田樹氏は、(1)消費への欲求に限度がある、(2)金持ちは消費に限界が来ている、(3)消費が増えないので経済成長しない、(4)貧乏人の消費欲求は満たされていないと主張している。ゆえに、(5)金持ちが貧乏人に贈与してあげれば、社会厚生が改善すると主張している。
主張(2)からすると、昔は成立していないと考えられるので、原始社会に戻れと言う事ではない。主張(1)で、交換経済でパレート配分が実現するとは限らなくなっている(*1)ので、市場経済が正当化されない。主張(5)は、主張(1)と(2)からパレート改善(*2)になるのは自明だ。
well-behaviorではない効用関数(*3)と言うのが問題なわけだが、そこは内田樹氏が「あるべき消費者像」を規範的に考えているとしても、氏は経済学者でもないし問題は無いであろう。「互酬性が全く無い贈与」があり得るのかと言う問題は、内田氏は「市民的に成熟」と言っているが、政府の所得再配分はそれを達成できると思われる。高税率の北欧型の福祉国家などが、内田氏の主張に近いのかも知れない。
なお、私は人間の欲望は無限だと信じておりますヽ(´д`)ノ
追記(2012/06/23 18:45):反論が来ていたので追記。確かに『昔に戻って「贈与経済」をやればいい』と書いてありました。
@anlyznews @levinassien 内田樹氏は「贈与経済」論で明確に「昔に戻って贈与経済」と言ってます。 blogos.com/article/36101/ 貴殿のパレート改善についての話は妥当ですが、私は彼の「哲学的議論」に厳密に則り「前提の曖昧さ」を指摘したまでです。
— カエルの卵さん (@ideas_frogegg) 6月 23, 2012
1 コメント:
余った金を寄付するような酔狂がいないから累進課税とか贅沢税があるわけで、金持ちの徳に期待する贈与経済という仕組みをぶちあげる意味があるのかな、と思うんですがどうなんでしょうかね?
つまりそれは政府の仕事じゃないのか?と。
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