放射線からの防護基準としてICRPではしきい値無し直線(LNT)仮説を採用している。LNT仮説とは、放射線を浴びた量が蓄積していって健康被害をもたらすと言う仮説だ。このICRPの防護基準を根拠に、科学リテラシーの専門家と言いつつ低線量被曝の危険性を強調する人がいる。しかし、防護基準から危険性を主張し、それを疑われると安易に統計を否定するその姿勢は、カルト的な手法にしか思えない。
1. LNT仮説や低線量被曝の健康被害は、統計学的に疑わしい
LNT仮説や低線量被曝の健康被害は、統計学的にとても疑わしい(*1)。少なくとも今後とも、危険性を説明できる可能性が低い。なぜ、ICRPが立証されていない危険性にも防護基準を設けているかと言うと、はっきり言えば主観的に安全マージンを設けているからだ。だから危険性を文書で示すときは、可能性を弱く示唆しているに過ぎない。
2. 統計的に認識できない事でも科学的?
たまたま科学コミュニケーションの専門家の林衛氏(*2)とTwitterでディスカッションする機会があったのだが、上記を指摘すると、『統計的に認識できないこと=科学的に認識できないこと,としているのが「ジャパン・スタンダード」』『統計学だけが科学的証明法?』『人間にとって価値ある情報は,統計的有意性なのかリスクの有無なのか,それが問題』と言い出した。
林氏の主張は異常とも言える。ICRPが危険性を考慮するのに参照している研究の多くが、統計的に有意性がある事、もしくは無い事を根拠としている。矛盾する結果を内在した無数の観察結果から結論を導きだすには、他に方法が無いからだ。だから、科学的方法論に日本基準も世界基準も無いし、統計的有意性が示されない情報は大きな価値が無い。
3. 科学リテラシーの専門家が出したICRPの表は統計を意識
恐らく林衛氏には統計学の知識が全く無いのであろう。ICRP.96の票3-1の画像を見せてくれたのだが、そこでは「低線量:約100mSv程度まで(実効線量)」で、「急性影響なし。その後、1%未満のがんリスク増加」「被ばく集団が大きい場合(恐らく10万人以上)、がん罹患率の増加が見られる可能性がある」とある。
林氏はこの表を見て、『「誤差程度の危険」いった表現はされていません』と主張していた。どうも統計情報とこの表のつながりが分からないようだ。
「増加が見られる」と言うのは有意性があると言うことだが、大雑把に言えば、t値(=リスク/√(分散/標本数))が十分に大きいと言う意味だ。リスクが誤差に対して十分大きく無いと、有意性がでない。誤差の二乗の和の平均値が分散になるからだ。つまり、「増加が見られる可能性がある」と言うのは、ICRPは長崎・広島LSSデータの100mSv以下の27,789の大きさのサンプルから、統計的に有意に危険性を見出せなかったと言う事だ。そもそもICRPの言う0.01倍未満の発がんリスクは、通常の科学リテラシーで考えれば存在しないに等しいレベルだ(*3)。
これだけICRPが統計結果を慎重表現しているのに、『統計的に認識できないこと=科学的に認識できないこと,としているのが「ジャパン・スタンダード」』と主張できる林衛氏が、何かに洗脳されていないか心配でならない。また、林氏は『ICRPは統計的に検出できるかどうかと,ありうる影響の有無をわけて考えています』と主張しているが、それは統計的に検出できない「ありうる影響」が、ごく僅かな影響であろう事をICRPも認識している事に気付いていない。
4. 科学リテラシーの重要性
防護基準は必要で、採用している防護基準は守る努力をしないといけない。だからICRPの防護基準を中心に考えていくのは仕方が無い事だ。
しかし、防護基準を超えているからと言って、確認された危険性を意味するものでは全く無い。そもそも防護基準から危険性を説明してしまうのは論理が逆だ。危険性を示す研究なりから、安全性に余裕を持たせて防護基準が出来ている。
実は『ICRPが功利主義から義務的倫理観に移ってきているのご存知ですか。基準値をどこまで下げても安全だといえないことがわかってきたからです』と言われたのだが、危険性を示す研究もなしに主張しているわけで、科学的ではない。「あなたの先祖が・・・」と言ってツボとか売りつけたりする雰囲気だ。
林衛氏の主張を見ていると、氏が並べるようなレトリックに騙されないように、堅実な科学リテラシーを育む必要性を強く感じる。偶然、話すことが無ければ存在に気付かない人物であったと思うが、こういう人もこの世にはいると言う事を、改めて認識させられた。
*1防護基準で低線量被曝にも、LNT仮説を採用させる根拠は三つあるようだ(BEIRⅦ報告書 【翻訳】)。(1)広島・長崎LSSデータ、(2)オックスフォード小児がん調査(Oxford Survey of Childhood Cancer)、(3)放射線生物学の細胞DNA損傷に関する研究。ところが三つとも、科学的に低線量被曝の健康被害を示せていない。
広島・長崎LSSデータは100mSv未満の被曝量での健康被害に関して、統計的に有意な健康被害を示せていない。オックスフォード小児がん調査は、母体がX線検査で10mSvの被曝を受けた子どもの小児がんリスクが1.5倍になると言うものだが、そもそも母体がX線検査を受けているので先天的な問題を抱えている可能性がある(中村(2007))。放射線生物学の細胞DNA損傷に関する研究は、DNA損傷を示す事ができているが、DNA修復機構の評価ができていない。最近の研究(MITnews,Berkeley Lab News Center)では、低レベルの被曝ではDNA修復機構は効率的に機能する事が示されつつある。
加えて言えば、チェルノブイリの経験(金子(2007))やネズミでの実験結果(S. Tanaka et al.(2003)、ATOMICA)も、低線量被曝の危険性を否定している。LNT仮説に関する論争は色々あるが、どちらかと言うと懐疑的にとられていると考えて良いであろう。ラムサールやガラパリの高線量地域に住んでいる人々の存在や、1日当たり1mSvと言うISS滞在宇宙飛行士の被曝量(JAXA)も、LNT仮説に疑問を投げかけている。
*2科学教育,科学ジャーナリズム、科学コミュニケーションの専門家だそうだ(富山大学)。
*3喫煙の発がんリスクが喉頭がんで10倍、肺がんで15~30倍と言われる。また、乳がんはBMIが25以上の人は20未満の人の2倍、身長160cm以上の人は未満の人の2.4倍(関連記事:ピンクリボンとLNT仮説)。公衆に0.01倍単位で危険性を喚起する事はまずない。
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