先日、BLOGOSに転載された記事のコメントで、在日韓国・朝鮮人であるライターの李信恵氏の主張が、嫉妬心によるものでは無いかと言う指摘があった*1。
実際にひどい差別行為にあわなくても、日本人と言う上位の階層と在日韓国・朝鮮人と言う下位の階層が存在すると思い込み、それで劣等感が生まれると、被差別意識が強くなると言う福岡・金(1996)*2と言う研究がある。
この金明秀氏らの主張は民族的自尊心を育むことで、それの解消をはかれと言う事だ*3。朝鮮学校や韓国学校を出ていない李信恵氏に嫉妬心が見えると言う事は、金氏らの主張に説得力があると言う事になる。教育内容が問題になりそうだが。
李信恵氏のように「生活保護問題が外国人でも受給できるのは、在日の1世、2世たち先人がその権利を勝ち取ってきたからだ」*4と、1950年の長田区役所襲撃事件や、1951年の下里村役場集団恐喝事件の後の、1954年の厚生省社会局長通知を、在日韓国・朝鮮人の輝かしい歴史のように言われても困惑してしまう*5。
*1具体的には以下の部分になる。
最近たまたま彼女が出演したチャンネル桜の番組を動画で見て彼女を知って、その後彼女のツイッターを読んだのですが、その中で彼女が書いていた「この世に生まれることを自分が選んだわけでもなく、日本人であることはほんの偶然に過ぎない。自分で掴みとったものではないことだけで優位に立とうとしても無理がある。その無理を通すために、差別が必要となるのだろうか。」の部分に彼女の思考回路があらわれていると思いました。
彼女の認識では、日本人は日本社会で優位にたっている。私は何ゆえかマイノリティに生まれついて不利な立場にある。それがくやしくて残念で仕方ない。
で、そのくやしさ・残念さを差別にかこつけて外部に不満を発散させているんですね。八つ当たりです。
*2『講座・差別の社会学2 日本社会の差別構造』に収録された論文「在日韓国・朝鮮人のアイデンティティと差別構造」を参照。
*3ここで言う『差別』は、在日韓国・朝鮮人だと告白したら驚かれたとか、在日韓国・朝鮮人が引き起こした事件の報道が気にかかる(Togetter)と言う問題なので、自尊心の生育で解消できるのであろう。ネトウヨの嫌悪感の表明も、自尊心があれば気にならないのかも知れない。
*4『差別はネットの娯楽なのか(2)――外国人女性タレント・フィフィ「在日外国人の生活保護受給はおかしい」「なぜ愛する母国に帰らないのか?」』
*5在日1世や2世は日本語運用能力が高く無く、日本での経済的基盤を持たなかったため、貧困による犯罪が多かったと思われる。1954年の厚生省社会局長通知は、在日韓国・朝鮮人が引き起こす社会不安に対応した一時的措置と考えるのが妥当であろう。なお、この事が永住外国人の生活保護給付の妥当性を決定するわけではない。
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