2012年12月8日土曜日

問題は政治家の決断力や説得力なのであって、日本国憲法ではない

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安倍総裁や石破幹事長は、党内を引き締めにかかるべきだとは思う。参議院議員の西田昌司氏が国民主権を否定して、片山さつき氏が基本的人権を否定していると、騒ぎになっている(togetter)。

西田氏は「そもそも国民に主権があることがおかしい」とテレビ番組で言ってのけたそうだ*1。自民党憲法改正案には「国民主権」と明確に書いてあるので、自民党方針と合致しない。片山氏は天賦人権論を否定している*2。自民党憲法改正案には「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利(十一条)」とあるので、天賦人権論を認めている。つまり、自民党方針と合致しない。

1. 自由及び権利と責任及び義務は連結してはいけない

西田氏や片山氏のような現行憲法はおろか、自民党憲法改正案すら否定する自民党議員が現れるのは、自民党憲法改正案に「自由及び権利には責任及び義務が伴う(十二条)」と言う発想があるからであろう。

この発想は、自由及び権利と責任及び義務が独立していないと、基本的人権は侵されてしまう事を理解していない。ケネディだって「人間の権利は国家の寛大さからではなく、神の手からもたらされる」と言っているのだが。

例えば乳児や幼児を考えて欲しい。責任及び義務を果たしていないが、生存権や教育を受ける権利は有している。納税の義務を怠り、脱税した犯罪者であっても、裁判を受ける権利は有している。また、納税額やその他の社会的貢献と、公民権は独立している。

2. 日本国憲法で人権を抑制するのは公共の福祉

もちろん公共の福祉に反する場合は、人権は抑制される。つまり、誰かに殺人する権利を認めると、誰かの生存権が阻害される。誰かの脱税を認めると、誰かの財産権が過度に、もしくは公共サービスを受ける権利が侵害される。人権と人権がぶつかり合うときは、法に基づき人権を抑制すると言うのが、今の日本国憲法の考え方だ。この論法の良い所は、最終的に誰の人権を侵害するか突き詰めて思考できるので、曖昧さが無い。

3. 公共の福祉を公益及び公の秩序に書き換える必要は無い

自民党の憲法改正案では「公共の福祉」と言う単語を、全て「公益及び公の秩序」に置き換えているので、この論理が曖昧になっている。「公益及び公の秩序」と書くと、具体化されたように見えて、実は何を目指すのかが曖昧になる。例えば累積政府債務の一掃のために、特定の人々の私有財産を没収すると言う法律は、公益及び公の秩序には反さないかも知れない。

権利主張が強い集団の活動を、自民党が抑制したがっているのは分かる。しかし、彼らの主張を認めると他の人々の権利が侵害される側面もあるわけで、現行憲法に基づき議論することは可能だ。反原発運動で道路を封鎖している人々はデモ権を主張するが、他人の道路通行権を侵害しているのだから、別に憲法を変えなくても排除できる。

4. 問題は政治家の決断力や説得力

問題は政治家の決断力や説得力なのであって、憲法に定めてある基本的人権では無い。自民党憲法改正案の大部分は、藁人形論法に基づく主張になっている事が、気になって仕方が無い。現行憲法で問題なのは自衛隊にかかる部分なのであって、その他にも無理に現行憲法の問題を作り出そうとしなくても良いと思うのだが、独自憲法にこだわるあまり*3、何かがおかしくなっているようだ。

*1「テレビ朝日|朝まで生テレビ!」で、「そもそも国民に主権があることがおかしい」と言ったとされている。

*2天賦人権論で国民に義務を課してはいけない理由も無い事も理解していないようだ。

*32012年10月7日放送のTV番組「たかじんのそこまで言って委員会」では、自民党の安倍総裁は以下のように理由を述べている。

  1. 今の憲法は当時のGHQ進駐軍の手によって作られた憲法である
  2. 憲法が出来て60年以上・・・時代にそぐわないものがある
  3. 自分たちの憲法を自分たちの手で書いていく。それによって真の独立を勝ち取ることができる

(1)と(3)が同じことを言っているのが気になるが、条文の内容よりも、誰がどういう経緯で書いたかを問題にしているようだ。

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