2012年6月8日金曜日

政策ツールとしての経済学と査読論文

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ある経済評論家が「査読つき専門誌に載った論文が政策の役に立つことはまずない」「若い世代ほど就職のために数学的に格好つけた論文を書きたがる」と主張している。この経済評論家は、教科書に掲載されている経済モデルに対しても理解が浅い事で知られている。本来ならば無視すべき発言であろう。しかし、労働問題の専門家が言説を取り上げたので、意外に誤解が広まっていそうな気がして来た。一応、問題点を指摘したい。

1. 社会現象を、数理的・計量的に分析し、査読論文で公表する

恐らく四つ、その経済評論家が理解していない事がある。まず、査読論文が無いと知見が大幅に無くなるので、政策的に何も言えなくなる。次に、数理モデルや計量分析を駆使するのは、それを使うとリサーチ・クエッションに明確に答えられるからだ。テクニックを披露するためではない。事例を淡々と積み上げている論文もあって、それも面白い事もある。次に、差読者のいる査読論文にするには、問題設定に対して適切なテクニックが用いられているか検査するためだ。最後に、世の中、分かっていない事も多い。

2. 査読論文にある知見なしでは、政策ツールは限られる

他分野で真面目に勉強した事がある人は分かると思うが、教科書に載っているようなモデルや事象は地道な研究の積み重ねを紹介しているに過ぎない。参考文献を見れば分かる。経済学の知見の多くは、専門誌に掲載された研究成果によっている。だから査読論文による知見が無くなると、ほとんど何も言えなくなる。

3. 利用される政策ツールは、古い査読論文から得られている

政策ツールとして、最新の知見が利用されているかは分からない。ケインズ卿は、当時最新のアイディアであって乗数効果を、その理論に取り込んだ。しかし、現在の政府や中央銀行の上層部はもっと保守的で、手堅い理論とそれを裏打ちする実証を要求しているようだ。

それでも日銀総裁の発言を注意深く聞いていると、Diamond(1965)Kydland and Prescott(1982)などを意識している事が分かる。就職の問題でSpence(1973)、結婚の問題でBecker(1973)を聞く事も多いであろう。

4. 説明のつかない社会現象はまだまだたくさんある

既に膨大な研究があるのに、さらに研究を続ける理由は、世の中で分かっていない事が多いからだ。上述の労働問題の専門家の研究は、混沌とした労働市場の実態を紹介しているが、今の労働経済学でどの程度の説明がつけられるのであろうか。社会でサービス業の比重が高まり労働組合の組織率が低下したときに、発生する問題をうまく説明できるのであろうか。説明できないのであれば、研究する余地がある。

5. 人間社会に普遍性があるのであれば、それに迫る事ができる

確かに経済学は政策学問として現実に解を出す為のものかも知れ無いし、普遍的な真実を追究できるものでは無いかも知れない。しかし、正しい解を出す為には緻密な分析を行う必要があるし、19世紀の現象も、21世紀の現象も、同じ理論で説明できると事は多々ある。経済学は長い年月をかけて体系化されてきた社会科学であり、人間社会に普遍性があるのであれば、それに迫る事ができる現在唯一の存在であろう。

6. 凡人は分析に努力するしかない

だいこん価格と供給量の関係を分析するだけでも、それなりの知識量と手間隙がかかるのが現在の経済学だ。理論モデルで測度論とか無闇に振り回さないでくれと思う。すぐに持論を語りたくなる年寄りには向かない学問かも知れない。

しかし、それは学問的誠実さの副作用であって、その副作用があるからこそ、政策ツールとして有用になりえる。ケインズ卿が、数学や統計を小馬鹿にしていたのは知っている。しかし、ケインズ卿のような天才ではない人々は、数学や統計に頼って、もしくは事例紹介を積み重ねていって議論を行うしか無い。

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