ボイコットで犠牲になるのは社会的弱者と言うような主張が𝕏/Twitterで反リベラル/アンフェのアカウントから流れていた。多数派が協力しないとボイコットは機能しないので、社会的弱者のための武器にはならないと言う考えのようだ。そんなことは全く無くないので指摘したい。
歴史的にはボイコットは弱者が強者に反抗する方法として生まれている。不在領主が派遣した横暴な土地差配人チャールズ・ボイコット大尉を、使用人と地元民が罷業と取引停止で抵抗して追い出した1880年の事件から取られた名称だ。現在では主に不買運動を指す言葉になっている。
1. 社会的弱者のための抵抗運動手法
名前の由来になった事件だけではない。1955年のモンゴメリー・バス・ボイコット事件では、市営バスの利用者である黒人がボイコットで、白人が優先される座席配分に抗議した。その後の違憲判決でこの抵抗運動は黒人が勝利したが、ボイコットは判決の翌月まで継続し、市営バス事業に打撃を与えた。白人よりも黒人の利用者の方が多かったからだ。1997年には開発途上国にある製造委託先工場の劣悪な労働環境や児童労働が問題になってナイキ社が不買運動を受け、企業に社会的責任が強く求められる契機のひとつになった。つまり、社会的弱者が参加しないケースもある。
2. 社会的強者には不要な方法
ボイコットは多数が経済的利益を犠牲にして協力しないと機能しないので呼びかけで終わることは多いし、韓国の日本製品ボイコットのように短期的に成立しても長期的には崩れることが多いため、政治目標を達成できた事例は多くは無いが、社会的弱者のための抵抗運動の手法である。強者が弱者をボイコットすることはほぼ無い。もっと直接的な方法が取れるからだ。
1933年4月1日にナチス・ドイツがユダヤ人所有企業のボイコットをしたとされるが、国外のユダヤ人がドイツ製品のボイコットを呼びかけた報復であり、実態はナチの突撃隊と親衛隊によるごく短期間の暴力的な営業妨害であり、示威運動でしかなかった。ナチスはボイコットなどする必要はなかったからだ。3月23日に全権委任法が成立して独裁体制は確立しており、営業停止処分を出すこともできた。また、3月20日に最初の強制収容所が設立されており、もっと露骨な迫害が始まっていた。
0 コメント:
コメントを投稿