目出度く制作会社に「アサシン クリード シャドウズ」の安土桃山時代の日本描写が歴史的に問題があることを認めさせることに成功した炎上騒動だが、その一因になったと黙される日本大学のトーマス・ロックリー氏の解雇を求める署名が起きるなど騒ぎは収まっていない。キャンセルカルチャーなのでやめるべき…と言うのはさておき、ロックリー本は欧米社会でどのような評価になっているのであろうか。
歴史の学術雑誌に、英語の著作Lockley and Girard (2019) "African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan"の書評(Purdy (2019))があったのでざっと見てみた。2ページ弱ぐらい。これを読む限りは、あまり心配しなくてよい。対象読者を考えると野暮だが、16世紀の侍の価値観が垣間見れる通俗史と歴史フィクション(popular history and historical fiction)であって、学術書ではないと評されている。特に文献の引用が適切にされていないことは、2段落、A4で1/3ぐらいの長さで指摘されており、ロックリー氏らが参照した史料と相反する記述がロックリー本にあることも批判されている。織田信長と森成利の切腹を介錯したとか、豊臣秀吉の朝鮮に従軍したとかオモシロを書いてあるらしいのだが、裏づけになる文献が全く無いし、介錯の方は大田牛一『信長公記』の記述と合致しないそうだ。
ロックリー本の内容を確認している勢によると、ロックリー本に書いていないことまでロックリー氏は非難されているそうで、かなり感情的な議論になっているのだが、批判すべき内容であってもロックリー本はよくあるオモシロ歴史本の一冊でしかない。共著者も歴史家ではない。請け売りする外国人も出てくるとは思うが、Purdy (2019)と言う便利な書評があるので参照すれば済む。ところでこの書評の存在を、誰かWikipediaのYasukeの項目に(編集合戦が落ちついたところで)加えておくべき。Lockley氏の言説が参照されている以上、それへの批判も入れておいた方がよいので。
追記(2024/08/09 04:32):歴史学における引用の重要性を切々と説教している部分を、抜粋しておく。
- "without specific references, details often seem like creative embellishments, rather than historical narrative(拙訳:具体的な参照なしの細部は大体、伝承と言うよりは、創造的な装飾のように見える)"
- "The lack of citations is not just a question of proof. Citations help the reader know the background of the evidence(拙訳:引用の不足は単なる証明の問題ではない。引用は読者が根拠の背景を調べることの助けになる。)"
- "Citations also serve as stepping stones for further research(拙訳:引用はまたさらなる研究のための布石として役立つ)"
- "the lack of detailed citations means that much of their effort ends with this volume (拙訳:詳しい引用の不足は、著者の努力の多くがこの本で終わることを意味する)"
- "Perhaps the most important reason for citing, however, is to confirm events and resolve contradictions(拙訳:恐らく、引用をするもっとも重要な理由は、事象を確認し、矛盾を解決するためである)"
弥助に関して日本人歴史学者の記述が非難されているが、当該人物の本はこれらの観点から無問題と言えるであろうか。
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