立憲民主党の米山隆一衆院議員が今野忍記者の𝕏/Twitterでのリプライに関して、普段から付き合いのある他の朝日新聞記者に口頭で抗議したことに関して、「言論弾圧も言論弾圧、キングオブ言論弾圧」と批判しだした反リベラルのアンフェがいるのだが、程度や状況、物事の仕組みや作用を考えないレッテル貼りなので指摘したい。
- 言論弾圧と言えば、共産主義者の小説家、小林多喜二の特高警察による拷問死が有名。比較して、抗議がキングオブ言論弾圧と言うのは無理がありすぎる。
- 為政者が権力をふるって人々を押さえつけることを弾圧と言うわけだが、米山議員は朝日新聞を押さえつけるような権限を持っていない。
- 朝日新聞は報道内容に関して政府や与党の大物政治家から抗議を受けてきたが、それで報道内容や報道姿勢を変えているわけではない。
- 言論の自由と言っても、非礼の自由と批判の自由では重要さが異なり、非礼に苦情を申し立てることは言論弾圧とは言わない。批判がどうしても非礼になるような事例でもない。朝日新聞の記者に、丁重に批判する能力が無いわけでもない。
公人には無礼な態度ぐらい意に介さないところを見せて欲しい気もするが、それへの苦情が言論弾圧にあたるかは別。また、苦情の言い方にも色々とあって、ひとづての非公式の抗議は、職場に内容証明郵便を送りつけるような名誉毀損になりかねない話よりは穏便な方法だ。また米山議員は記者から取材を受けることもあり、業務上の関係があるわけで、全く無いところへの苦情でもない。
政府や自民党(の大物議員)がメディアに抗議を送ることはよくあり、ほとんどは言論弾圧と言えるほどのものでは無かったとは思うが、少なくとも権力や方法と言う面では、今回の米山氏の事例よりも威圧的なものであった。政府や自民党のメディアへの抗議が弾圧でなければ、米山氏の苦情も弾圧とは言えない(逆は真とは限らない)。しかし、今回の米山氏を非難している反リベラルのアンフェの皆さんは、言論弾圧だと非難してはいなかった(と記憶している)。何が言論弾圧かと言う基準をしっかり持たずに党派性で非難をしていくと、一貫性を失うことになる。
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