2011年5月30日月曜日

経済問題に「正義」を持ち込むのは普通

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池田信夫氏の「エネルギーは経済問題。「正義」を持ち込むのは間違いのもとである。」というTwitter上の発言に、孫正義氏が「正義を疎かにする経済ほど愚かなものはない」と反論し、池田信夫氏が資本主義は不道徳なものだと再反論している。しかし、経済学的に経済問題を議論する場合、明らかに「正義」を考慮しているので、明確に池田信夫氏の発言を否定しておきたい。

1. 経済学者は正義(=厚生基準)を仮定し、経済問題を考える

上述のようなメッセージがインターネットに流れると、池田信夫氏(学位は政策・メディア)が経済学者を名乗っているので、経済学には「正義」が無いように思われそうだ。しかし、何らかの判断基準を置かない限りは、どちらの制度・政策が望ましいか判断できない。厚生比較の判断基準がある以上、経済学には正義がある。

この判断基準は、便宜上、社会的余剰が最大と言って生産や消費が多いほど良いとする事が多い(古典的功利主義)。これは人間の物欲は無限で、消費に応じて幸福度が上昇するという仮定だと考えて良いであろう。しかし、必要に応じて安全性や、持続性、そして道徳観も判断基準に加わる。

もちろん、絶対的な判断基準は無い。複数の人間がいると、利害関係や価値基準に差が出るためだ。数百年も研究されているが、未だに結論は出ていない。厚生経済学というカテゴリーがあって、専門的に研究している人々がいる。この分野でノーベル経済学賞の受賞者は多数出ているので、経済学の古典だ。

2. 「正義」の定義は人によって異なる

問題は「正義」の定義だ。電力の生産コストは低い方がいいし、24時間好きなときに使える利便性がある方がいいし、事故で健康に害があるのも困るし、地球温暖化ガスが排出されるのも困るし、資源が枯渇しても困る。一つ一つは分かりやすい基準だが、全体の整合性をどう取るのかが問題になる。

全部の検討課題が改善される方法があれば、それを採用すればいい。パレート改善と言う。残念ながら、大抵の社会的選択肢は全て一長一短で、明らかに優位性があるものがない。発電方法に関しても同様だ。ゆえに孫正義氏のように安全性や地球環境問題を重視するような発電方式を好む人もいるし、池田信夫氏のように生産コストや利便性を重視する人もいる。

価値観をまとめる適切な方法は無いので、「正義」を根拠に議論しだすと、決着は永久につかない。平たく言うと、池田信夫氏と孫正義氏は永久に分かり合えない。

3.「正義」が共有できなくても、判断材料は共有できる

分かり合えない同士でも、社会的選択肢が何か、その選択肢がどういうものかは共有できるはずだ。

原発が危険だと分かっていると主張する人、再生可能エネルギーは採算が取れないと主張している人は、福島第一原発の災害に関連した賠償金額が幾らになるか、福島第一の災害の毎年の発生確率が幾らになるのか、現在問題になっている低レベル放射線がどの程度危険なのか、現在から未来にかけての火力、原子力、太陽光などの発電方式のコストが幾らになるのか調べてみよう。

正確な数字など、誰にも分からない。条件付の数字になる。しかし、数字が出てこないと、正義に照らし合わせて判断する事もできない。ゆえに、数字を考える事には意義がある。このブログでも、東海地震の発生確率や、原発の費用原発の補助金福島第一原発自己による賠償金額原発停止の年間コスト太陽光発電の費用や賦存量家庭用太陽光発電システムのコストなどを取り上げて来ている。

4.「正義」以前に、判断材料がおかしいときも多い

判断材料が誤っていることは多い。単に誤解やミスが理由のときもあるし、賛同者を増やすために判断材料の見栄えを良くする事は頻繁にある。

例えば、孫正義氏の自然エネルギー協議会の主張におかしい点があるし、大島堅一・立命館大教授の分析には恣意的なところがあるし、河野太郎衆院議員は文科省調査に書かれていないことを調査結果のように主張している。経済学を知らない経済評論家が、経済学を語っているケースもある。

判断基準は人それぞれだと思うが、判断材料には客観性が求められるはずだから、ここは厳しく批判しあう事が大切だ。そもそも客観的な判断材料を提示しないで、自己主張だけを繰り返す人も少なくない。

5. まとめ

経済問題を判断するのには、判断基準(=正義)が必要なので、池田信夫氏の主張は誤りだ。正義が不要だとすると、厚生経済学の立場が無い。

「正義」の共有は不可能なので、そこで言い争いになっても建設的ではない。また、「正義」が共有できなくても判断材料は共有できるし、主張者によっては判断材料がおかしいときも多い。ゆえに、応用経済学者は「正義」が何かの議論を回避している。

しかし、幾ら回避をしたところで、最終的には何かの判断基準が無いと選択ができない。ゆえに、「正義を疎かにする経済ほど愚かなものはない」という孫氏の指摘は、概ね経済学的には正しいように思える。

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