在日韓国・朝鮮人、朝鮮学校の問題で話題になる関西学院大学の金明秀教授なのだが、その論証には色々と問題点があるのだが、特に歴史の記述については問題が少なからずあるように思える。
日本に流入した在日韓国・朝鮮人の実態は経済/政治難民であり、しかも暴動を頻繁に起こしていた集団であった。在日韓国・朝鮮人にとって忘れ去りたい歴史であっても、歴史は歴史だ。差別の是非はともかく、歴史修正否認主義的な態度は問題だ。
1. 在日韓国・朝鮮人は平和的な集団ではなかった
例えば『朝鮮学校「無償化」除外問題Q&A』の記述を見てみると、朝鮮学校の印象を良くしようと、真実に触れない作文になっている。
政府は戦後の混乱期に在日コリアンへの警戒心を強めたようで、1948年に入ると朝鮮学校を解体するべく様々な策を講じました。「阪神教育闘争」と呼ばれる激しい抵抗運動を暴力的に退け、ついに全校を強制的に閉鎖するところまで追い込みました。
- 「在日コリアンへの警戒心を強めたようで」と、政府が勝手に思い込んだようにも取れるように書いているが、当時は在日韓国・朝鮮人が数百人から数千人で暴動を起こしており、世情不安だった。生田警察署襲撃事件、下里村役場集団恐喝事件、神奈川税務署員殉職事件などで検索すると、当時の事情が理解できると思う。
- 「1948年に入ると朝鮮学校を解体するべく様々な策を講じました」とあるが、朝鮮学校を日本の学校制度にあわせるように命じたのは連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)である事に触れていない。GHQが日本を占領していたのは1945年~1952年で、当時の日本政府は強い自主性は無かった。
- 『「阪神教育闘争」と呼ばれる激しい抵抗運動を暴力的に退け』とあるが、阪神教育事件で「在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余も大阪府庁に突入し、3階までの廊下を暴力で占拠した」ことなどが、無かった事にされている。
日本政府が在日韓国・朝鮮人を規制しようとした理由には、上手く触れないわけだ。問題は深刻だったため当時の総理の吉田茂は、朝鮮人の本国送還をGHQに打診している。吉田は台湾人は問題なしとしていることにも、注意されたい。
2. 日本統治下の朝鮮半島の発展や密入国を無視する
他にも『「帰化すればいい」という傲慢』と言うエントリーを見ると、日本の植民地支配で、伝統的な社会秩序と経済基盤が崩壊したため、朝鮮半島から朝鮮人が流入したと主張しているが、これも無理がある主張になっている。
だが、日本が朝鮮半島を植民地支配した36年の間に、朝鮮半島からは膨大な人口が半島外に流出した。植民地支配のプロセスで、伝統的な社会秩序と経済基盤が崩壊したためである。そうしたマクロな社会状況に言及することなく、ミクロな次元でのみ捉えようとするのは公正な視点とはいえない。
- 「伝統的な社会秩序と経済基盤」が崩壊したのは、経済成長に伴う結果である。それは朝鮮人の経済基盤の崩壊を意味しない。インフラや教育に投資が行われ、年率で実質4%の成長があり、また栄養価などの向上で人口は2倍になった*1。
- 「伝統的な社会秩序と経済基盤」は、少なくとも現代的感覚からは、崩壊すべきものであった。奴婢や白丁が多数いた社会*2を温存しておくべきであったと言うのは、無理がある。上の写真は奴婢の扱いの記録だが、保存すべき社会秩序には思えない。
- 済州島事件や朝鮮戦争などから逃げてきた密入国者が過半数と言われることも無視している。同民族で殺しあった結果、難民となって日本に来たわけだ*3。これらの動乱は、日本の植民地支配の結果とは言えない。
労働者は賃金水準が高い地域に移動する傾向が見られ、それは元の居住地の経済状況が悪化していることを意味しない。
ところで金明秀氏によると「強制連行で日本に渡ってきた在日一世の男性は2割程度だと推定されている」とあるのだが、外務省の調査によると、在日韓国・朝鮮人61万人のうち徴用で来た者は245名に過ぎない(朝日新聞1959年7月13日)。出所を明示して欲しい。
3. 李朝時代の朝鮮半島の教育事情を無視する
同エントリーを見てみると、他にも被害者性を過度に訴える箇所が見られる。日本統治時代以前の朝鮮人は、公的な学校制度でアイデンティティにあたるものを教わっていない。
在日コリアンは植民地支配によって奪われた言葉や名前やアイデンティティを取り戻すため、終戦直後から精力的に学校を設立しました。
- 日本統治時代でも朝鮮半島では朝鮮語を教えていたし、日常会話や新聞などから完全に排除されたわけではない。徐々に日本語を用いる施策がとられたが、弘谷・広川(2003)の表66を見ると、普通会話に差し支えなく日本語運用できる朝鮮人は、日本統治の末期である1943年でさえ12.3%でしかない。
- 日本統治時代以前の朝鮮半島では、公的教育がほぼ無かった。書堂や書房と言う習字と素読を習う私塾はあったが公的支援は受けていなかった(弘谷・広川(2003))。そのためか日本統治時代以前の識字率は低く、植民地支配によってハングル等の浸透度は上昇した。呉(2012)によると、1910年に6%だった識字率は、1943年に22%になった。
- 創氏改名が強制であったにしろ、1946年に朝鮮姓名復旧令で遡及無効になっているので、朝鮮学校とは関係ない。なお、創氏は日本式の姓を加えるもので朝鮮式の名前が無くなるわけではなく、改名は推奨されなかった(呉(2012))。
金明秀氏は在日韓国・朝鮮人の被害者性を強調する歴史描写を心がけていることが分かる*4。日本統治を悪く言わないと、朝鮮民族の独立を正当化できないと勘違いしているのかも知れないが。
4. 金明秀氏が歴史を曲げて表現したい理由
歴史の不幸があったとは言え、難民や密入国者と表現されると、在日韓国・朝鮮人の被害者性が低下する。そして不法者だった集団に属している事を認識することで、在日韓国・朝鮮人の子弟が劣等感を抱く可能性がある。
金明秀氏の政治目標は、在日韓国・朝鮮人の子弟の被差別意識の解消で、それには民族的自尊心の育成が重要だと考えているから、過去の歴史をそのまま受け入れるわけには行かない(関連記事:ある計量社会学者が他人を罵倒する理由)。ゆえに、歴史を曲げていくことになる。
しかし、この論法は根本的に危うい。在日韓国・朝鮮人は被害者だから、その権利を認めないといけないと言う主張になっているからだ。被害者で無い事が分かったときに、在日韓国・朝鮮人の権利を正当化できなくなる。
民族的自尊心の育成と、在日韓国・朝鮮人の人権問題は分けて考えるべきであろう。そもそも欺瞞で自尊心を高めることは北朝鮮や韓国の政治文化*5なので、日本で実行するのは辞めて頂きたい。
*1韓国併合の経緯や、日本統治時代については「韓国併合への道 完全版」を参照。
*2奴婢が売買される奴隷で、白丁が被差別民であり、一説によると朝鮮半島の人口の四割を超えていた。朝鮮半島の伝統的な、社会秩序は奴婢や白丁と言う身分を作り、彼らが経済基盤を支えていたと考えられる。
*3吉田茂の1949年の文書「在日朝鮮人に対する措置」で、半数が密航者としている。大手パチンコ店グループ・マルハンの創業者の韓昌祐氏などが具体的に知られる。康由美弁護士入居差別裁判の、康氏の両親も朝鮮戦争の惨禍から逃れるために日本へ密航してきたそうだ(サンボン・ネット)。
*4同種の論者は少なく無い。「在日・強制連行の神話」を参照。
*5北朝鮮は言うに及ばず、韓国の歴史教科書も史実を忠実に記述する意欲に欠けるようだ(韓国の歴史教科書を読む)。
2 コメント:
>差別の是非はともかく、歴史修正主義的な態度は問題であろう
「歴史修正主義」とは、いわゆる「左派」が「右派」を批判する際に使う言葉で、あなたは逆に使用していますよ。
これは、如何なものでしょうか?
>>泰成 さん
コメントありがとうございます。
通俗的には「客観的な歴史学の成果を無視し、自らに都合の良い過去は誇張や捏造したり、都合の悪い過去は過小評価や抹消したりして、自らのイデオロギーに従うように過去に関する記述を修正するものである」と言う意味らしいので、政治的ポジションは関係ないと理解しています。
歴史学における用法はまた違うみたいですね。
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