「在日・強制連行の神話」は、80年代から語られるようになった「在日韓国・朝鮮人は強制連行の被害者である」と言う誤解を、史料を元に否定した上で、なぜ誤解が生まれたかを丹念に記述している。要は在日韓国・朝鮮人の論者が捏造した神話だそうだ。著者の首都大学教授の鄭大均氏はエスニシティや日韓関係論の専門家で、この問題を語るに相応しい人物であろう。
1. 神話とその発生経緯の丁寧な説明
第1章で各所にある「在日は強制連行の被害者である」と言う記述を確認し、第2章でそれに対しての反論が紹介されている。第3章は在日一世たちの証言を紹介しつつ、第2章の反論を補強している。この章は興味深い話も多く、面白かった。第4章で朴慶植氏の「朝鮮人強制連行の記録」が誤解の源であり、その記述には不正確さがあること、朴慶植氏が北朝鮮の影響を強く受けていたことを指摘している。第5章は金嬉老事件に関して、梁石日氏、姜尚中氏、辛淑玉氏が強制連行の被害者性を安易に訴えていた事が批判されている。
2. 在日一・五世と二世が捏造した何か
ほとんどの在日韓国・朝鮮人は、強制連行の結果としているわけではない。日本語の強制をされていたと言うのは虚偽に近い。創氏改名は朝鮮名を捨てるものでもなかった。そして、こういう誤解を生み出したのは、在日一世ではなく、幼少期に在日一世に連れられて日本に来た在日一・五世、そして在日二世である事が示される。その理由が明確に示されているわけではないが、在日一・五世の朴慶植氏は北朝鮮の影響が強く、在日二世の論客は実体験が無いため朴氏の言説に真実性が乏しいことを見抜けなかったようだ。
3. 著者の人生訓が垣間見える
ところどころ、被害者性を主張する在日韓国・朝鮮人に批判的な意見が述べられており、著者の人生訓が垣間見える。在日の被害者性を訴えることで、差別を自助努力で克服しなくて良くなった事が、前向きな人生選択を阻害していると言う部分(P.157)などがそれだ。しかし、虚偽の被害を訴えることは、そんな人生訓なくしても問題だと思う。
4. 新たな詭弁のための記述を追加して欲しい
興味深い内容だが、本書の議論にも不足が無いわけではない。新たな世代の在日論者は、日本支配で伝統的な社会秩序と経済基盤が崩壊したため日本に移住したのであり、徴収だけを議論するのは公平ではないと主張している*1。P.84で触れられる日本に流入した理由である人口増加そのものや、平均身長や平均余命の伸びが経済的恩恵を示し、この間接的な被害者性を否定するわけだが、明確な記述が欲しい。
5. 朝鮮半島の動乱の影響は?
ところで済州島事件や朝鮮戦争などから逃げてきた密入国者もそれなりいるはずなのだが、ノンフィクション・ライターの野村進氏の「在日一世の大半は、戦前から日本に住みつづけているか、戦後、密航で来たかのどちらか」ぐらいしかなかった(P.39)。本書の目的を超えるのだと思うが、在日が流入した要因としては、もう少し詳しく紹介する部分があっても良いように思える。
追記(2013/05/03 21:34):日韓歴史共同研究の大西裕氏の報告書、「帝国の形成・解体と住民管理」を参照しろと言う指摘があったのだが、これは鄭大均氏見解とほぼ一致する。P.415に以下のようなモデルの説明があり、実際にモデル通りであったとあるからだ。
戦時期に強制動員によって渡日した人々は、現地社会とのネットワークをほとんど持っていない。しかも、彼らはもともと国家の保護を期待できなかった。日本の敗戦によってもはや強制の枠がなくなった以上、彼らは先を争って引き揚げるであろう。
追記(2013/05/04 01:37):はてブのコメントでid:scopedog氏が『書評「在日・強制連行の神話」』を紹介してくれたのだが、鄭大均氏の主張を誤読しているようだ。
- 被差別者としての朝鮮人の被害者性を意識しすぎるあまり、鄭氏の論点を掴めていない。鄭氏は、朝鮮半島と内地の差別も、戦時中の徴用の是非も議論していない。在日が強制連行の結果ではなく、その誤解は在日一・五世や二世の論者の創作であるとしているだけだ。
- 「戦争末期の徴用のみを強制連行とみなすのなら、募集や官斡旋はどうなるのか?」と批判するが、P.86「日本での生活」以降、質問Eの回答の紹介では日本政府の強制性を示す証言が無く、募集や官斡旋された人々は、証言から自発性が強く見られる。なお質問B~Dは大半が帰国した徴用者向けだ。
- 1962年以降の帰国事業の停滞の理由付けも批判されている。しかし、国際情勢の変化で政治的に困難になったと言うid:scopedog氏の指摘の方が説得力を持たない。政治的に困難になったのであれば、事業自体が凍結されたはずであるが、1967年まで帰国事業は継続している。事業自体は継続しているのに、応募人数が急激に減った事は間違いなく、事業に直接の影響を与えない国際政治を理由にできるものであろうか。
- 第5章も「なんとも批判にもなっていない」断じているが、読み込み不足を感じる。鄭氏の文章も難解な側面があるのだが、(1)金嬉老事件を在日韓国・朝鮮人の被差別を要因だと議論していいのか、(2)被差別が要因だとしても犯罪を肯定すべきなのか、(3)在日の識者たちが感傷的な表現でこれらの論点を曖昧にしていないかが議論されており、これらは明確な批判である。
- 帰化手続きに関しても批判があるが、毎年1万人も帰化できているのだから、鄭大均氏の個人的な地位は関係ないであろう。また、帰化手続きの必要要件が明確にされているわけで、在日外国人の人権問題と関係があると言う主張は無理があるように思える。要件が厳しいのか、緩いのかの議論しかあり得ない。
*1つまり関西学院大学社会学部教授の金明秀氏のブログのエントリーにある、以下の記述だ。
宮台氏は「在日のなかで強制連行されてきた方というのはごく一部で、大半は一旗上げにやってきた人達なんですよ」という。
なるほど、それは《ウソ》とは言い切れない。いわゆる強制連行で日本に渡ってきた在日一世の男性は2割程度だと推定されている。逆に言えば、8割は出稼ぎだ。したがって、ミクロな次元では、「一旗上げに」海を渡ったケースも当然多かったろう。
だが、日本が朝鮮半島を植民地支配した36年の間に、朝鮮半島からは膨大な人口が半島外に流出した。植民地支配のプロセスで、伝統的な社会秩序と経済基盤が崩壊したためである。そうしたマクロな社会状況に言及することなく、ミクロな次元でのみ捉えようとするのは公正な視点とはいえない。
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