2013年5月5日日曜日

産米増殖計画について、ある社会学者にある二つの誤解

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関西学院大学の金明秀教授が、『日清戦争で慢性的な米不足におちいっていた日本は,「産米増殖計画」(1920~34年)といって植民地である朝鮮半島から大量の米を収奪しました』と書いている。韓国の教科書には同様の記述があるようだが、控えめにいって二つ誤解がある。慢性的な米不足の原因は戦争ではなくて人口増加が原因だし、大量の米を輸入したのであって、収奪したわけでは無い。朝鮮半島の人口も急激に増加している。

1. 韓国併合後の米事情

1894年の「日清戦争で慢性的な米不足」と言うのだが、韓国併合は1910年なのでタイムラグがある。それはともかく、米の生産量の推移を見てみると、微増しており減ってはいない(大浦・川島(2007))。不足の原因は需要と言う事になる。

そう、人口が増加した(大浦・川島(2007))。

だから「日清戦争で慢性的な米不足におちいっていた」は金明秀氏の誤解だ。

次に「米を収奪」とあるのだが、これも誤解である可能性が高い。日本は朝鮮から対価を払って米を輸入していた*1し、輸入価格が特別に安かったわけではない。単に日本で米価があがったので、朝鮮から輸出されただけだ。結果として、朝鮮半島の1人あたりの米の消費量は激減している。

米を食べられなくて可哀想と思うかも知れないが、これは高い米を売って、安いヒエやアワなどを食べていただけだ。今でこそ米=主食と言うイメージがあるが、日本も戦前ぐらいまではヒエやアワも主食のうちだった。

追記(2013/05/06 03:44):京城日報 1933.3.28(昭和8)に、「既往の統計に照せば内地に対する鮮米移出量の増減は満洲からの粟輸入量増減と常に正比例している」「鮮農は米を作って粟を食し、米をトコロ天式に内地に押し出して、内地米価を圧迫する」「粟こそは半島細農数百万人の主食物」「折角値上りした米を安価な粟に代えて主食せねばならぬなら、細農の手に何が残るか」とある。

2. 食料を収奪したら、栄養状態が悪化して人口が増えない

金明秀氏は違和感を感じないのであろうか? ─ 人口が急激に増加していること、平均身長がのびていることから、朝鮮人の栄養状態は改善している。日本が米を収奪していたら、ヒエやアワを買うお金も無くなって、飢餓状態になる。

また、価格がゼロか不当な廉価で「収奪」されたら、朝鮮半島のGDPにはマイナスの影響になるが、実際には同時期のGDPは急激に増加していると考えられている。車明洙嶺南大教授の研究では、朝鮮は1937年の中日戦争勃発前まで国内生産及び支出が年間約4%の高い実質成長率を記録していたそうだ。1人当りの生産成長率は約2.4%となる。

3. 産米増殖計画は農業振興策

産米増殖計画と言うのは、名前からして分かるように収奪目的ではなくて、灌漑事業などで米の収穫量を引き揚げる計画だ。朝鮮半島の生産量は1910年から1940年で約2倍になっているから、十分では無くても、大きな成果を上げたと言えるであろう。

廉価な輸入米で日本の米農家の生活が悪化したと言う議論もある*2のだが、これは工業セクターに対して生産性の伸びが低い一方で、米価が十分に伸びなかったためだと思われる。人口増加で需要は堅調に伸びていたからだ。

4. 同じページの他の記述は大丈夫?

なお金明秀が書いた問題のページでは、在日韓国・朝鮮人が強制連行の結果として日本に居着いたと言う誤解*3も堂々と記述されている。

「日中戦争がはじまると,米だけでなく水や地下資源,労働力など,さらに収奪は激しくなっていきました」ともあるのだが、ここも根拠無く書いているのでは無いか、心配だ。朝鮮半島での戦時徴用や徴兵は1944年からで、日中戦争も末期になる*4

*1正統史観年表 「日帝が朝鮮の米を収奪した」???』で、日韓台の米の輸出入事情を当時の新聞を引用しつつ議論している。米価で輸出入を説明できるので、収奪である可能性は低いと言う議論。

*2在日・強制連行の神話」を参照。

*3産米増殖計画期の日本と朝鮮』を参照。

*4韓国併合への道 完全版」(P.248)

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