2011年6月11日土曜日

原子力開発は、恐怖で推進されてきた

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毎日jpが村上春樹氏のカタルーニャ国際賞スピーチの原稿全文を掲載していたので拝読した。細かい数字や事実認識に関しての誤りはともかく、原発災害の発生理由に関しての下り、つまり僅かな発生確率の大災害に対して、東電も政府も真剣に対策を取り組んで来なかったことを糾弾している点は、同意せざるをえない。しかし、営利企業である東電が「効率」を理由に原発を開発して来たという部分は、現実への認識が不足しているように感じる。

1. 独占的電力会社にとって原発は重荷

原子力発電所は、営利企業にとっては厄介な代物だ。安全性の確保が難しく、近年は政治的理由による稼働率の低下に悩まされている。1966年から東海原発で商用運転が開始されているが、原発の発電コストが火力を下回ったのは2000年代に入ってからだ。90年代は化石燃料価格が安いこともあり、原発の存在意義が疑われていたことは、想像に難しくない。特に、東京電力のような独占企業は、発電コストを電力料金に上乗せすれば良く、火力発電所に依存するほうが楽だったはずだ。

2. 原子力開発を推進してきた理由は、資源枯渇への「恐怖」

原子力開発は国策として推進されてきた。その動機は「恐怖」だ。エネルギー資源を外国に依存している日本は、戦前から資源の確保に苦心してきた。70年代には中東の政治的問題でエネルギーを失う危険を感じ、90年代には化石燃料によって地球環境が破壊される危険を認識し、2000年代からは新興国の台頭によって、化石燃料が枯渇する危険を感じている。

現代社会を維持するには大量のエネルギーが必要だ。農耕社会に戻れば良いと主張する人もいるかも知れないが、非現代的な農業では3,000万人程度の人間しか日本の国土は養うことができない。エネルギーが不足して、輸出加工型工業が不可能になれば、我が国は9,000万人の人間が飢え死ぬ事になる。

もちろん、直ちにエネルギーが確保できなくなる危険があるわけではない。しかし、従来型エネルギーが、枯渇や環境問題で使えなくなるリスクに直面している事もまた事実だ。今日や明日、恐らく十数年先までの電力会社だけの「効率」だけを考えるのであれば、火力だけで問題は無い。原子力を推進せざるをえないのは、未来のエネルギー資源の不足と言う「恐怖」に準備するためだ。

3. 「非現実的な夢想家」の国での講演

村上氏は「我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだった」と述べている。再生可能エネルギーへの移行を示唆していると思うが、まだ原発の被害も確定しておらず、事故原因の究明も不十分で、事故防止方法も検討されていない状態だ。原子力技術を捨てるべきだと主張するのは時期尚早に感じる。

スペインはバルセロナでの講演である事を思い出そう。スペインと言えば、今年3月に風力発電が2番目の電力供給源となり、太陽光発電への非現実的な補助金が社会問題になっている(Bloomberg.co.jp)。再生可能エネルギー大国だ。もちろん、発電効率は悪い。電力部門の非効率性だけが要因ではないが、21.29%と言う高い失業率が、社会不安を引き起こしている(CNN)。否定的に見れば、「非現実的な夢想家」の国だ。失業率を無視して、再生可能エネルギーへの取り組みの重要性に触れた方が、営業的には良いに違いない。

これは「非現実的な夢想家」になった私の妄想であって、村上氏が講演で意図したこととは明らかに違う。しかし「非現実的な夢想家」になった私は、エネルギー資源が十分に確保できずに、高失業率で財政破綻が懸念される経済にならないか心配になる。原子力開発に努力して来た人々も、日本の未来を保障する「夢」を持っていたのでは無いであろうか。原子力開発そのものが、倫理や規範を損なっていると批判するのは、それが村上春樹氏の発言であっても、あまり賛同ができない。

1 コメント:

Jasmine さんのコメント...

原発に関してもやもやとしていたので、参考になりました。
エネルギー資源の点から考えていきたいと思います。

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