池田信夫氏も目を引くタイトルで記事を大衆に読ませたいのだと思うが、「携帯電話は原発より危険だ」という記事が、経済学者というか社会科学者として問題の多い記事になっているので、指摘したい。
CNNの、WHOが携帯電話の利用が発がんリスクを引き起こしうるとしたという報道と、放射線の被害で、原発災害の放射線被害への危惧を皮肉った内容だ。社会科学者としての良識を疑うような釣り記事で、悪い冗談としか思えない。
1. 英語の読解能力が疑わしい
「~かも知れない」という可能性を現す表現を、「~だ」と断定を現す表現に変えるのは、扇動目的の意図的なミスリーディングのように思えるが、あえて池田氏の英語の読解能力を疑う事にする。
- CNNの記事
- Radiation from cell phones can possibly cause cancer, according to the World Health Organization.
- The team found enough evidence to categorize personal exposure as "possibly carcinogenic to humans."
- 池田信夫氏の記事
- CNNの報道によれば、WHO(世界保健機関)は携帯電話を「発癌物質」に指定した。携帯ユーザーが脳や聴神経の腫瘍にかかるリスクがあることが判明したためだ。
- CNNの記事
- The European Environmental Agency has pushed for more studies, saying cell phones could be as big a public health risk as smoking, asbestos and leaded gasoline.
- 池田信夫氏の記事
- 喫煙やアスベストと同等というのは大きなリスクだ。
canやpossibly、could、は、そう大きな可能性を現すわけではない。
最初の部分は、ガンを起こしうる可能性があると書いてある。possibly carcinogenic to humansは定義された用語(Group 2B)で、「ガンを引き起こしうる幾つかの証拠があるが、現在は決定的とはとても言え無い」ことを意味する(Glossary: Standard IARC classification)。WHOは発がん物質に、携帯電話から出る電波を分類していない。
次の部分は、European Environmental Agencyが、携帯電話が喫煙などと同等のリスクを引き起こすかもと言いつつ、研究を推進してきたと書いてある。WHOがそう言っているわけではない。
なお、不幸なことに英語は学術分野の共通語なので、そこそこできないと学者としては許されない。
2. 追加調査の必要性を危険性の立証と誤解する
WHOの専門組織である国際がん研究機関(IARC)は、先週までは携帯電話に危険性は無いと言っていたので、もちろん驚きは大きい。
しかし、電磁波を鉛、ガソリンエンジンの排気、クロロホルムと同じカテゴリーと同じ分類にしたことが、危険性を表すわけでも無さそうだ。米セルラー通信工業会(CTIA)は、過去に漬け物やコーヒーも同じ分類にされていたことを指摘している。また、IARCの科学者らは、携帯電話の電磁波ががんを引き起こすかどうかについて、何らかの断言をするに足る長期的研究が行われていないとしている(cnet)。
IARCの科学者は危険性を「断言できない」と言っており、追加調査の必要性を訴えているだけだ。そして、FCCやFDAが、それに追随しているわけでもない。
3. 社会調査への理解が無い
社会科学者であれば、長期の健康調査の追跡は難しいので、まずは疑うところから入るのが普通だ。
特に携帯電話の電磁波に関しては、この現代社会で携帯電話を使っていない人間は、ちょっと異質なタイプな人間だと言う事が分かるはずだ。携帯電話と発ガンの可能性ではなく、一般人と異質な人の違いが、調査結果に現れている可能性もある。もちろん、サンプルの異質性をコントロールする事はできるが、残念ながら適切にコントロールされていない研究は多数ある。
今回はサーベイ調査で、新たな研究分析を行った上での結論で無い。ゆえに、適切な分析かを検証する事はできないし、疑ってかかる具体的な対象も無いのだが、信憑性も高くないと言う事になる。
4. 携帯電話の電波への調査が不足している
携帯電話は世代ごとに電波出力が低下している。電波で光るグッズを持っていた人は、残念ながら、もう若くは無い。PDA/GSM時代の10年間と、3G時代の10年間のリスクを同じに考えるのは、適切とは言えない。
そして電波は距離があると急激に減退する。基地局の出力は大きいが、鉄塔の先で普通は近づけない。しかし、池田氏はこのように言っている。
ちなみに東京タワーのアナログ出力は、50,000Wぐらいはあるそうだ。携帯電話の基地局は、約0.5W~30Wだ。基地局の電波が危ないとするなら、まずはテレビの規制を主張する事をお勧めしたい。
もちろん、放射性物質の除染は必要になる可能性があるが、電波には除染も必要ない。
追記(2011/06/03 15:32):@_Nekojarashi_氏から、周波数を無視して電波の出力を比較は意味が無い、周波数を無視して出力だけ比較できるなら、電子レンジ(500~1000W)の中は、東京タワーより安全という、ごもっともな指摘があったので紹介。ただし、電子レンジは金属内をマイクロ波を反射させているので、アンテナとはちょっと構造が違う。
5. 携帯電話業界の取り組みへの理解が無い
池田氏は携帯電話業界の取り組みへの理解も無い。
孫正義氏の率いるソフトバンク・モバイル社は、2002年6月1日から電波の比吸収率(SAR値)の規制指針に従い、正確に言うと従来から規制範囲内である事を確認している。つまり、WHOやICNIRPの示したガイドラインに従っている(ソフトバンクモバイル株式会社)。
もちろん福島第一原発の放射能流出は、災害だからやむを得ないのだが、各種の安全基準を守っているわけではない。Twitter上で孫氏が『絶対の「正義」』を主張したことは無いが、現時点での携帯電話販売事業は、公的基準では人命を損なっているとは言えない。
6. 客観事実が不足していることを認識していない
なぜか原発と携帯電話の危険性を比較しているが、それには原発と携帯電話の利点と危険性をなるべく正確に議論する必要がある。
携帯電話の利便性は周知の通りだし、危険性に科学的なコンセンサスは無い。原発の生み出す電気は現代社会を支えているが、費用を抜かせば代替物があるように思える。そして、危険性も良く分かっていない。
原発災害発生確率は、わからない。統計調査は母集団が大きいときは有益な情報をもたらすが、福島第一原発と同程度以上の事故は、過去にチェルノブイリしかない。この時点で統計的手法で、危険性を測るのは不可能だ。工学的には、まだ今回の災害での事故調査委員会の報告は無い。
原発事故で流出する放射性物質が引き起こすかも知れない、放射性線の健康被害も同様だ。過去のデータから、概ねの危険性については分かっている部分もある。しかし、科学的に絶対のコンセンサンスがあるわけではないようだ。100ミリシーベルト以上でリスクが確認されているのと、100ミリシーベルト未満でリスクが無いのは違う問題だからだ。データが不足しているから安全基準を厳しくする。これは科学的根拠を欠く行動だが、なぜか国際機関も政府も、安全面を重視してそうしている。
7. 低レベル放射線以外の問題を認識していない
孫正義氏の反原発・再生可能エネルギー支持を揶揄しているようだが、それには放射線の問題だけを取り上げるのは適切では無い。携帯電話は電磁波だけが注意喚起されているが、原発は低レベル放射線だけが問題なわけではない。
警戒区域・避難区域が適切かは疑問があるが、15万人の人間が何ヶ月も避難しているは事実だ。携帯電話が起こした災害で、同様の現象を私は知らない。これも休業損害や慰謝料に、金額的には換算できるであろう。しかし経済学的には、お金で換算して補償すれば済むのかは、厚生基準による。そして、発生頻度がわからないので、原発の存在する事による確率的な損失も計算できない。
8. 経済学者を名乗る池田信夫の学識を疑う
経済学者を名乗る池田信夫の学識を、次の理由で疑う。つまり、(1)英語の読解能力が疑わしい、(2)追加調査の必要性を危険性の立証と誤解する、(3)社会調査への理解が無い、(4)携帯電話の電波への調査が不足している、(5)携帯電話業界の取り組みへの理解が無い、(6)客観事実が不足していることを認識していない、(7)低レベル放射線以外の問題を認識していない。
恐らく池田氏は、低レベル放射線の危険性を皮肉っただけで、問題のエントリーは氏の本心ではないと述べるとは思う。しかし、経済学者を名乗る以上、学識を疑われるような文章を書くのは避けるべきであろう。もちろん、これは私の「正義」にもとると言うのが理由だ。しかし、同意してくれる人は多数いると信じている。
3 コメント:
池田氏や河野氏、小出氏など、私が注目して来た人達を痛快に斬ってますね。面白いのでドンドンやって下さい。
Uncorrelatedさん
「WEB+DB屋」とのことですが、広い分野でこのようなブログ記事を正確に客観的に記述することは非常に重要であり、すばらしいと思います。
正体・実体は不明ですが、まだ、若く、正確な理科系の知見を活用して社会を見ることは極めて重量であり出来そうで出来ないことですね。
私もアゴラメンバーですが、池田氏の記述は議論を喚起(妙な常識に凝り固まっている面々も確かに多いので)することが目的だと思いますが、やや正確さに欠けていることは否めないかもしれません。
是非、正確な分析力に基づいて、国土・都市・産業政策や各種プランニングにも提案をしてみてください。大いに期待しています。
概ね賛成ですが「6. 客観事実が不足していることを認識していない」の「科学的に絶対のコンセンサンスがあるわけではないようだ」についてだけはちょっと突っ込みを。種々の実験で100ミリシーベルト未満についてはコンセンサスはあります。もちろん「絶対のコンセンサス」と言い出せばそんなものはほとんどのものにはないのですが・・・天動説やガンウイルス説等も現役の学者で肯定派の方もいらっしゃいますしね。本件に関しては主流派は100ミリシーベルト未満のケースでの健康への影響に対しては懐疑的です。実験以外での統計調査に関しても(非原発由来の)100ミリシーベルト程度の地域は多くあり、またそれらの地域の住民の健康データに関しても研究は行われております。
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