MITからマウスを用いた低レベル放射線による被曝の影響を評価し、DNA変異や抗酸化マーカに有意な違いが無かったと言う論文が出された(MITnews,togetter)。5週間で105cGyだから、1000mSv程度の線量を与えたようだ。Gyは線量の強さで、Svはそれに換算係数をかけて人体への吸収度で評価したものとなる。
この実験結果をもって、国際放射線防護委員会(ICRP)の線量基準がリスクを過大評価しており、少なくとも1000倍の過大評価であると経済評論家の池田信夫氏が狂喜している(BLOGOS)。ICRPの防護基準が何であるか、過去のマウスを使った研究結果がどのようなものか、良く分かっていないようだ。
1. ICRP基準の正しさは否定されない
まず理解しないといけないのが、ICRPの放射線量は防護基準であって安全基準ではないと言う事だ。安全だと思われているレベルよりも、遥かに厳しい基準を設けている。次にICRPがLNT仮説を防護基準で採用するのは科学的な理由ではなく、便宜的な理由であると言う事も忘れてはいけない。そもそもICRPも線量率効果係数(DDREF)を考慮しているので、厳密にLNT仮説に従っているわけではない。だからICRPの防護基準は、非常時や事故後の回復期には年間1mSvよりも遥かに高い水準20から100mSvを許容している。
そもそも事故後の回復期の安全基準は、地元住民との対話によって決定する事になっている(国際放射線防護委員レポート111号(ICRP111))。健康被害が明確なら、そんな悠長な事は言っていられないはずだ。
2. 人体への影響を示していない
実験はネズミで行われており、人間で行われていない。動物実験の知見は参考にはなるが、人間へ適応すべきかは別の議論となる。
公害問題に詳しい識者なら、ダイオキシンのモルモットでの50%致死量(LD50)が0.6μg/kgで、ハムスターが5000μg/kgであった事を思い出すはずだ(ダイオキシンは猛毒なのか)。人間とマウスで状況が同じとは限らない。
3. ネズミで低容量被曝の危険性を否定する研究は既にある
MITの研究以前に、毎日1.1mGy/日、合計400mGyを照射しても統計的な有意があるほど寿命が短くならなかったと言う研究も既にある(S. Tanaka et al.(2003)、ATOMICA)。良く見ると21mGy/日、合計8000mGyまで照射すると影響が出ているが、これは8Sv相当になる。
日本トキシコロジー学会のプレゼン資料(中村(2011))では、ネズミとβ線と発がん確率のグラフが紹介されていた。
ネズミ基準でいいならICRP基準が過剰なことは、かなり前から明確に分かっている。しかし、ICRPは防護基準だから過剰でもいいわけだ。
4. MITの論文は状況を変化させない
ICRPは防護基準を示しているので、MIT論文の結果が妥当性を覆すことにはならないであろう。そもそもMITの論文は人体への影響を示していないので、信憑性が劣る。さらにネズミで低容量被曝の危険性を否定する研究は既にあり、安全性・危険性と言う意味では新規性が低い。恐らくDNAの損傷を直接観察した事が、新しい点なのであろう。
MITの論文は状況を変化させない。マウスではなくて、人体への影響を評価した研究が出てくれば、大きくICRPの基準を変えるかも知れないが、福島第一原発の災害・事故でも重度の被曝者はいない。また、白内障の危険性は近年、基準が厳しくなってきており、低レベル放射線の安全性だけを示す研究が増えているわけでもないようだ(放射線の白内障発症リスク)。
科学的な知見としては面白いが、政策的に反映するまではまだ距離がある。これを持ってICRPの基準値が妥当ではないとは言えない。少なくともICRPが認知し、防護基準の策定の情報としてきた研究を覆すような内容は無いように思える。
0 コメント:
コメントを投稿