2011年7月11日月曜日

大学教育は社会的には浪費?

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Pritchett(2001)と言う論文を引用しつつ「大学は社会的には浪費」と、経済学者を自称する池田信夫氏が主張していた。そんな事が書いてあるのか疑問に思ったので、Pritchett(2001)を読んでみた。難解ではないが、批判的に論文を読む訓練を受けていないと要約に騙されそうになる論文だ。

1. 成長率と教育資本増加率は負の関係?

Pritchett(2001)によると、各国の成長率と教育資本の増加率の関係を分析すると、負の関係があるそうだ。この理由として、(1)制度・ガバナンス環境が不適切、(2)教育資本の限界生産性が急激に逓減する、(3)教育の質がとても悪くて人的資本の形成に役立たないの三つの可能性が考えられるそうだ。負の相関は実証されているのだが、その理由は推論であるので特に根拠のある話ではない。

2. 分析結果を信じれば、教育機関の存在が社会悪

Pritchett(2001)の推計結果をそのまま解釈すると教育資本を減少させた方が経済成長率が高くなるので、大学どころか全ての教育機関の存在が社会悪だ。この意味では、多額の費用を要する大学教育は浪費と言えるかも知れない。しかし、Pritchett(2001)の主張を信じるには、その分析は粗雑だ。

3. 分析手法に粗雑な面がある

Pritchett(2001)の実証分析は、大きな問題点が四つある。(1)明らかに経済(一人頭GDP)と教育資本は正の相関があるので*1、教育資本増加率が経済成長率(一人頭GDP増加率)にマイナス効果があるなら、分析モデルが誤っている。(2)開発途上国と先進工業国を同時に推定している。分析内には内戦を行っている国も多々あり、教育資本どころではない国も多い。(3)長期的な効果を分析していない。ある年の教育資本の増加が、同年の経済成長率に影響があるモデルとなっている。(4)教育投資は所得に依存するだろうから、同時性の問題を抱えている。

追記(2012/11/11 23:40):操作変数法も使っているのだが、操作変数が教育年数や入学率のデータとなっており、それらが被説明変数と独立とは考えづらい。

4. Pritchett(2001)を大学不要の論拠するのは問題

池田氏がこういう論文を疑いも無く根拠としてしまうのは中身を読んでいないからだと思われるが、研究者として一人前である事を現す博士号取得者の態度としては問題であろう。池田氏はメディア・政策で博士号を取得しているので実証分析の知識が無いのかも知れないが、要約部分を読んで理解したかのように思い込むのは良い習慣だとは思えない。

*1この論文、大学教育に限った分析でもないので、正の相関が無いとすると、小学校程度の勉強ができなくても労働者の生産性に影響が無いと言うことになる。

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