フェミニストの巣窟である日本女性学会でトランス権利活動家(TRA)なフェミニスト有志が公開で声明と賛同募集を発し、現在の学会執行部と対立する自体になっている*1。分科会での報告と質疑応答に「人権侵害」があったそうだ。
学会の報告と質疑応答はあくまで学術的な議論なわけであるから、トランスジェンダーの人権を侵害するのは困難であるし、主張に問題があれば直接間接に反論していけば済む話なのだが、社会圧で異端を封殺しようとする態度がTRAらしいものとなっている。
TRAは詭弁と社会圧によって社会運動を行ってきた。TRAスローガン「トランスジェンダー女性は女性なのだから、女性として取り扱わないと差別」は、女性の定義を明らかにしない論点先取と言う詭弁だ*2。トランスとシスを区別するジェンダークリティカルな批判を受けると、無根拠に擬似科学だと嘲笑し、トランスの生存に関わる問題なので悠長に議論などしていられないと、社会圧で批判者を排除してきた*3。LGBTと言う言葉も詭弁になっている。同性愛者の権利と同時にトランスの権利の主張を行うことで、トランスの権利の正当性を問われるのを避けている。
このTRAの詭弁と社会圧による政治活動は一定の成功を納めてきた。公的な性別変更が容易になった国は多くあり、トランスジェンダーは精神疾患ではなくなった。トランス女性が利用できる女性用スペースも多くなってきている。しかし、女子刑務所でのトランス女性によるシス女性の性的暴行事件などの発生などをきっかけに、世間がトランスジェンダーと言う概念自体に懐疑の目を向けだしたあと、TRAの詭弁や強弁は逆風に立ち向かうどころか嘲笑の的となっている。生物学的な性差を否定しなくても、トランス女性の権利拡大を一部でも主張する理屈は構成できたはずなのだが。
トランス権利活動家の言説の批判は拡充され続けている。2023年にアビゲイル・シュライアー『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』が話題になったが、昨年もフェミニスト哲学者キャスリン・ストック氏の『マテリアル・ガールズ:フェミニズムにとって現実はなぜ重要か』の邦訳が出た。相互批判をサボってきたばかりに第3波フェミニズムの発生と拡大を許したジェンダー学者*4も、異常さに気づきはじめている。日本女性学会における政治闘争の帰結は分からないが、村社会の掟を作り出すことに成功しても、狭い世界に過ぎない。政策論争には敗北する可能性が高い。
0 コメント:
コメントを投稿