高名な情報量規準主義者の主観ベイズ統計学への誤解を受けてか、統計学を専門としない数学者が、ベイズ意思決定理論における小さな世界(small world)と言う特徴を3年間ぐらい繰り返し批判している*1。しかし、ベイズ以外のあらゆる数理的分析においても小さな世界を分析することになるので、殊更、ベイズ統計学の欠陥のように取り上げるのはミスリーディングだ。
小さな世界とは、現実世界(grand world)の一部を切り取った数理モデルのことを指す。現実世界では様々な事に次々と意思決定をしなくてはならないが、ベイズ意思決定理論ではそのうちの一部において最適な意思決定を考えるので、小さな世界と表現されている*2。
ベイズ意思決定理論では、小さな世界では可能性を調べつくす*3一方で、小さな世界の外側については行き当たりばったり*4で判断を下すことで、可能性の検討を計算可能な範囲に絞っている。現在から死ぬまでの全てのことを計算に入れて物事を決めることは不可能だから、これは不可避な限界だ。
小さな世界を考えることは、ベイズ意思決定理論に限らず、物理学をはじめとして科学全般で広く行われている。科学哲学では、問題関心に関係ないのを切り捨てることを抽象化(abstraction)、厳密には間違っているがその方が応用が利くのでそうすると言うのを理想化(idealization)と呼ぶ。頻度主義の統計学でも同様で、"All models are wrong; but some are useful(拙訳:すべてのモデルは間違っているが、中には役立つものもある)"と言う格言が残されている*5。
小さな世界をどのように構成すべきかについて、普遍的な原則はない。分析者の経験に依存する。しかし、大雑把には合意があるものであるし、統計解析では現実に得られるデータは限られているので、小さな世界をどう構成するかの自由も限られる。また、小さな世界を考えると言っても、分析者が数理モデルをデータで選択することを禁止するわけではない。主観ベイズでも同様。実際、ベイズファクターと言う主観ベイズが要求する尤度原理に沿ったモデル選択方法がある*6。
小さな世界の説明で、現実世界のヒトや動物の意思決定が合理的なことはない事が説明されることがある。可能性のすべてを調べ尽くすことは、手間隙がかかるものだ。経験的には合理的に振舞っていたりもするのだが*7、ベイズ意思決定理論が要求するほど厳密にではない。経済学では限定合理性という概念を用いることもある。しかし、規範的であって実証的ではないと言う批判であり、ベイズ統計学の有用性を毀損することではない。統計解析を行うときには、持っている情報からなるべく合理的な判断を見極めたいわけで、現実世界のヒトや動物の思考を模倣したいわけではないからだ。
こういうわけで、小さな世界を主観ベイズ統計学の欠点のように非難する言説はおかしいことになっているし、そもそも小さな世界を考えることが非科学的と言うことでもない。もちろん、分析するモデル選択を誤ると痛い目にあうので、小さな世界は慎重に構成しましょうとは言えるが、これはデータからモデル選択をしたり、専門家同士の相互批判などによって、妥当性が担保される部分だ。
*1「「小さな世界」の統計学観は実践的な統計学の応用では害になります」と言っていた。
*2現代ベイズ統計学の原点Savage (1954)の§2.5のpp.13–17に概要が、§5.5のpp.82–91に数式を使った詳しい説明がある。
*3Savage (1954)では、"Look before you leap(拙訳:後先を考えて行動しろ)"と言う格言に沿った方針だと説明していた。情報量規準主義者は比喩と説明していたが、比喩が一般化した定型句と捉える方が適切だ。
*4Savage (1954)では、"You can cross that bridge when you come to it(拙訳:その時になったら考えればいい)"と言う格言に沿った方針だと説明していた。
*5統計学者George E. P. Boxの言葉で、Wikipediaにページもある。なお、Boxの業績にはベイズに関連したものもあるが、この格言はベイジアンに限らず広く受け入れられている。
*6問題の数学者は、主観ベイズのモデル選択方法を知っているはずだが、「モデルの妥当性を当然とする「小さな世界」の統計学は実践的には危険」と批判している。
*7手間隙を考えていちいち厳密に計算せずにどんぶり勘定で判断するのも、ある意味、合理的である。
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