ジェンダー学者の田中東子氏が、ジェンダー論の大学院生が公開している論文を分野外からSNSで論評するなと言い出して非難を浴びている。公開された著作物をSNSで意見論評するなと言うのは、言論の自由に反する姿勢だ。
田中東子氏の主張も半分は分かる。田中東子氏には昨年末に誤解や曲解に基づく大きな非難が集まっていて、それらは建設的なものとは言い難かった。また、平均的な大学院生は半人前なので、論文を完成させて学術雑誌に掲載するための改善を提案する指導的、建設的なコメントが必要で、それは分野外の、とくに学術未経験者には難しい。雑な非難によって、大学院生が潰されてしまう危惧はある。
しかし、ジェンダー論に限って言えば、なるべく外からのコメントを求めるべきだ。ジェンダー学者に学生を指導する能力があるのか、疑わしい。ジェンダー論研究者の文章を見ると、広く同じ意味で使われているとは言えない用語が定義を与えることなく使われているとか、参照している英語文献の読解が誤っているとか、論文で参照している外国事情を勘違いしていると言うようなことが頻繁に起きている。暗数に関する議論などで社会調査の知識が欠落している議論は多いし、院生が学部生が分かる範囲で統計処理が誤った議論をしていたのに、誰もそれを指摘しないこともあった。現代科学技術であれば男性も出産できると言い出す東大教授もいるぐらいだ*1。
田中東子氏も例外ではない。現代思想2025年5月号の田中論文にあるポルノグラフィと言う言葉のキャロライン・ウェストの説明の紹介が誤っていることが指摘されている。ウェストのポルノのカテゴリー分類の紹介も誤っていると指摘されている。ポルノには多様な定義があるとしつつも、議論で利用する定義を明示せず、さらに(よく使われる定義でsexually explicitな)ポルノの議論をしていたはずなのに、途中で(sexually explicitとは限らない)「エロい」表現の話に摩り替わったと指摘されている。田中論文は、数理分析でも統計解析でも社会実験でもインタビューでも参与観察でも会話分析でも無い。論考そのものが重要であるが、そこで言葉の意味がおざなりだ。論文「メディアとジェンダー表象」におけるリッツアーのプロシューマーの説明も厳密さを欠いていた。また、寄せられた批判への田中氏の反応は真摯なものとは言えないものがある。𝕏/Twitterで寄せられた批評に対して、田中氏は画像キャプチャ付き無言リプライを行った。私の理解では、この行為は相手の言説に不満がある人物がそれを示すために行う行為だ。反論ではない。著作『オタク文化とフェミニズム』も、アイドルファンの推し活をオタク文化と定義しており、マンガやアニメといったオタク文化の中核を論じていないと批判されていた。私が観察する限り、田中氏はこの批判に沈黙している。
*1「先端的な医療技術を利用すれば、男性が生むことも不可能ではない」(瀬地山角『炎上CMでよみとくジェンダー論』p.46)
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