文筆家で自身も難病患者である大野更紗氏が、厚生労働省の医療費自己負担限度額引き上げ案によって、難病患者を抱える家計が困窮してしまうと批判している。これに付け加えて、そもそも難病に対する公的支援の制度に問題があると、東京大学の松井彰彦氏も厚労省を批判している(朝日新聞)。
しかし、お二人の主張は良く分かるのだが、一つ大事な前提の説明が省略されてしまっている気がする。松井氏こそそれに最も詳しい人の一人なので気が引けるのだが、勝手に補足してみたい。
1. 難病とは何であろうか?
何を馬鹿な事を問いかけているのであろうかと思うかも知れないが、大病ならば何でも難病になるわけではない。1972年に厚生省が出した「難病対策要綱」を見てみると、以下の様に定義されている。
- 原因不明、治療方法未確立であり、かつ、後遺症を残すおそれが少なくない疾病
- 経過が慢性にわたり、単に経済的な問題のみならず介護等に著しく人手を要するために 家族の負担が重く、また精神的にも負担の大きい疾病
具体的には特定疾患治療研究事業の対象疾患(56疾患)の事を指す*1。
原因不明で治癒見込みの無い大病が難病と言うことだ。極端に言えば、誰も予防する事ができない病気でもある。
2. 難病の自己負担増は予防インセンティブを高められない
予防できないということは、自己負担の増加は節制インセンティブを高めることができない。どう節制すればいいかわからないからだ。大野氏と松井氏の議論には、この前提があるように思える。
肺がんだったら禁煙で予防する事ができるし、子宮頸がんだったらヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチンを打つことで罹病率を下げる事ができる*2。狂犬病だったら海外で犬に近づかないこともできるし、糖尿病や通風はそれこそ節制や運動で予防することができる。しかし、難病はできない。
3. 難病の自己負担増で社会的コストは下がらない
ここで社会的コスト、政府と患者のそれぞれの負担の合算値を考えよう。糖尿病や通風など予防ができる疾患で治療費の自己負担が増えれば、健康ブームになって罹患率が下がる事が期待できる。当然、社会的コストは下がる。しかし、予防ができない難病は、社会的コストが下がらない。難病の自己負担増には財政改善効果はあるわけだが、国家全体では何も改善しないと言うことだ。
4. 難病は保険でカバーするのに適している
予防インセンティブが罹患率に影響しないと言うことは、健康保険加入者のモラル・ハザードを引き起こす可能性が無いと言う事だ。健康増進に勤める余地が無い。つまり、100%を政府負担としたところで社会的コストは増えないし、ちょっと保険料を引きあげるだけで制度維持にも問題は出ない。
さらに保険料が上がることにうんざりするかも知れないが、難病が原因不明の疾患だって事を思い出して欲しい。あなたも難病にかかる可能性があるわけで、その保険料の引き上げで安心を得ることができるわけだ。
5. たばこ税!脂肪税!ポテトチップス税!
医療費の増加は深刻で、何か財源を充てないといけないのは確かだ。どこに課税するか悩ましい所なのだが、社会的コストを考えた場合に、予防インセンティブをもたらすようにピグー課税を考えた方が良いであろう。つまりタバコ税を増税し、脂肪税とポテトチップス税を導入するべきだと思われる。うまく節制をもたらさなくても、不摂生な人ほど納税するので多少は応分負担に近くなる。厚労省はこの認識が低く、推定されたタバコの社会的コストよりも、たばこ税の税収が少ない*4。小宮山洋子元厚生労働大臣のたばこ税の増税*5を否定しておいて、(意図したものか分からないが)難病患者の自己負担増を提案するのは、ちょっと良識的では無いと思う。
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