ブータンの国民総幸福量(GNH)が時々話題になるが、それと似たアプローチで様々な政策を議論している本が「幸福の研究」だ。原題はThe Politics of Happinessで、邦題が内容と乖離しているが、幸福感からの政策議論の本になっている。理論的に手堅い話かと思ったが、意外に奔放に政策談義が展開されていく。
読みやすいかと言うと、読みづらい。書いている人は著名な法学者のせいか構成が堅く、だんだんと何を議論しているのか分からなくなる。第11章がまとめになっており、まずここを読むと全体像が分かりやすい。11、1、2、3・・・と読み込むのがいいようだ。
1. 幸福感の測定が必要な理由を丁寧に説明
第1章で幸福感を測った研究を紹介し、第2章で幸福感の測定値の信頼性を議論し、第3章で幸福感を政策評価に利用すべき理由を述べている。経験抽出調査や日常再現法、もしくは単純なアンケートで調査された幸福感が必ずしも幸福を意味しない事は留意しているし、幸福感を政治目標の一つと意義付け、一般の意思が明確で無いときに利用すべきと留保があるが、有用なツールであることが強調される。第4章では経済成長が、第5章では不平等の解消が万能な解決能力を持たないと説明している。すぐに思いつく幸福向上策は、幸福感を向上させない。つまり、個別の政策を、幸福感で評価していく必要があるわけだ。
2. 幸福感をもとに政策評価を試みる
第6章から第10章までは、米国にある諸所の政策的な話題を、幸福感の向上を基準に議論していく。
第6章の社会保障制度や、第9章の幸福に関する教育、第10章の政治制度の限界に関する教育の議論は興味深い。著者は言及していないが、確かに人間のリスク回避度は観察できないので、公的保険を厳密に評価するには、幸福感を測定するのも手段であろう。失敗して覚えると人生に打撃の大きい事も多いし、政治に無理な期待をしている人が多いのは、万国共通の傾向に思える。
逆に第7章の医療制度や、第8章の結婚や家族の問題は、著者の主張と異なり幸福感と言う指標の必要性を感じない。慢性痛や睡眠障害、そして鬱病の経済的損失が大きいのに、それに適切に対処できていないのは、単なる医療行政の怠慢だからだ。結婚生活に対するカウンセリングや、貧困層の就学前教育も費用対効果が大きいとされている。パターナリスティックだと言う批判があるのかも知れないが、それに幸福感と金額のどちらで反論しても同じであろう。
3. 経済成長は幸福増進を妨げる?
法学者が書いているせいか、細部で気になる所もある。第4章で経済成長と労働時間にトレードオフの関係があるように議論されているが、実際は経済成長とともに労働時間は減る傾向にある(図録労働時間の推移(各国比較))。大量消費社会が過剰な労働供給を誘引しているわけではない。また、公的支出の拡大や技術開発と経済成長がトレードオフのように議論されているのも、やや気になった。経済成長を促進する場合も、阻害する場合も考えられるからだ。
4. 場所を選べば幸福感の測定は有用なツール
全般的には、著者の幸福感で政策や制度を正当化すると言うアプローチは、支持できる側面は少なく無い。伝統的な費用便益分析は、鉄道や道路、防災施設などの評価には適しているが、社会保障制度や貧困対策の評価には適していないからだ。日本にも、幸福感で制度評価をすべき官公庁があったような。そうだ、厚生労働省だ。
本書はぜひ、厚生労働省の官僚にお勧めしたい。費用便益分析が適さないからと言って、数量的な評価分析することなく現行制度を全面肯定されても困る。厚生労働省は保険給付の期待値を計算することが問題だと主張している。だったら代わりに幸福感の測定を行うべきであろう。ぜひ本書を読んだ上で、内閣府の口を封じるような調査を行って頂きたい。できるものなら。
0 コメント:
コメントを投稿