2012年10月29日月曜日

オンライン・コンテンツの排除性に関して

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人気ブロガーの藤沢数希氏が「コンテンツの時代」と言うエントリーで、オンライン・コンテンツに利用者の非排除性があるので、一握りのコンテンツ・プロバイダーのコンテンツ価格が上昇する一方で、それ以外のコンテンツ・プロバイダーのコンテンツ価格が無料になり、コンテンツ不足が発生していると主張している。古典的な経済学が予測する通りと言っているが、言っている事はかなり違うし、実証的にも論理的にもおかしい。

まず、オンライン・コンテンツの非排除性は、実証的におかしい。ある程度は排除に成功しているシステムもある。iアプリ等のアプリ販売などがそれだし、AmazonのKindleなどの電子書籍販売もそうであろう。また、コンテンツ自体に非排除性があっても、広告スペースには排除性があるため、そこで利益を得ることもできる。検索サーバー等のポータルや、SNS、もしくは一部のブロガーは広告から収益を上げている。

次に、コンテンツに非排除性があるときに、一握りのプロバイダーのコンテンツ価格が上昇すると言うのは、論理的におかしい。非排除性があるのであれば、一握りの人気プロバイダーのコンテンツ価格もゼロになるはずだからだ。人気プロバイダーと、不人気プロバイダーの収益構造が異なる理由については説明されていない。

大手が零細を駆逐すると説明したいなら、コンテンツ販売は固定費用(開発費)しかかからないので、規模の経済性があると言うべきであろう。購入者としては保有する娯楽時間が限られているので、品質の確かな人気プロバイダーに集中する。もっとも漫画やゲーム、小説を見ていると、昔から面白いコンテンツを持って、次々と参入者が出てきている気がするが。消費者の趣向は異なるし、どんどん変化していく為では無いかと思われる。

そもそも現時点のタブレット端末に対するコンテンツが、不足しているのかは良く分からない。地図は以前よりずっと高度化されているし、ウェブやSNS、メールを利用する分には快適だ。PC上のドキュメントをオンラインストレージに上げておけば、電波があれば、必要なときに見ることもできる。電子書籍がもっと充実してくれれば良いと思うが、これも時間とともに解決していくと思われる。売れ筋の本から電子化されていくから、古い本や資料的に使いたい本が後回しにされているのに不満がないわけではないが。

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