2013年4月4日木曜日

プログラマが全否定されている『武器としての決断思考』

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タイムラインでたまに見かけるので「武器としての決断思考」を読んでみた。個人の意思決定の方法として、ディベート的な議論のノウハウが認知バイアスを除去するので役立つとして、色々と基本的なノウハウを紹介している。

個人の意思決定で誰と議論をすればいいのか(自問自答?)と言う所と、専門バカのエキスパートがディベート思考が出来ないという暗黙の前提に疑問がわいた。また、エキスパートはプロフェッショナルでも無いらしい。

1. ディベート思考が分野横断的な知識・経験の取得条件?

著者は「ガイダンス」で専門バカのエキスパートと、変化に対応できるプロフェッショナルの二種類の人物像を定義する。エキスパートは特定技能では一流だと定義されるが、プロフェッショナルはそれに加えて分野横断的な知識・経験を取得しており、顧客の多様なニーズに合ったものを提供できるそうだ(p.30)。そして、高度・安定成長期とは違い厳しい時代なので、プロフェッショナルでないと生き残れない。

続けて『1時間目「議論」はなんのためにあるのか?』で、ディベート思考で認知バイアスを除去でき「いまの最善解」を導き出せるようになると主張し、そして具体的なディベート手法の説明に入っていく。ディベート思考が有用なのは漠然と理解できるのだが、分野横断的な知識・経験の取得や顧客の多様なニーズに答える能力とどう結びつくのかが分からない。

ディベート思考で自分のスキルセットで顧客要望に応えられない事に気づいても、案件を断るか、他を紹介するかはあると思うが、お手上げだと申告するしかない。

2. 専門バカはディベート思考ができないのか?

著者は専門バカのエキスパートは、批判的思考が出来無いと思っているようだ。しかし、一流と呼ばれる人間は批判的に技術を見て取捨選択をしているし、案件ごとに創意工夫をしている。文章は修辞で誤魔化せても、機械などを誤魔化すことはできないので、技術論はシビアだ。専門の殻に篭っている側面があるのは否定しないが、それはディベート思考ができない事に直結しないのでは無いであろうか。

3. 戦略コンサルタントの社内論理では?

戦略コンサルタントと技術エキスパートがいて、ロジカル・シンキングで大局が見渡せる戦略コンサルタントは、恐らく専門性は低いけれどもプロフェッショナルである一方で、技術エキスパートはそうではない。つまり、専門バカのプログラマーは、一流でも職業人(=プロフェッショナル)では無いと言っている。

これを「マッキンゼーに在籍していた時代によく言われた」(p.30)とあるのだが、戦略系コンサルティング企業のマッキンゼーの生業から言って、マッキンゼーの社員は専門バカでは予算が立たず、職業人になれないと言う論理なだけな気がする。つまり、著者は社内外の見分けがついていないのでは無いであろうか。それともマッキンゼーの戦略コンサルタントは、顧客や協力会社はプロではないと断言しているものなのか。

『どんな人も「ポジショントーク」しかしない』(p.203)とあるので、社会慣行に乗っ取ったものかも知れないが。

4. 細部の事実認識には疑義がある

ディベート思考を説明しているのであって、具体的な事象について議論する本ではないが、細部の事実認識には疑義が無いわけでもない。「読書は格闘技だ!」と批判的に読めと書いてるので、野暮を承知で幾つか突っ込んでみよう。

例えばコールセンターの待ちうけ人数を電話で聞いた話(p.200)があるのだが、大抵のコールセンターはアウトソーシングされていて、同一のオペレーターが複数社の入電を受けるわけだから、この電話でのやり取りで真実を話されているなんて分からない。瀧本氏は中の人に確認済みと教えてくれたが、中の人にコールセンターの体制を確認したとは書かれていない*1

他にもチャータースクールKIPPの「数多くある実験校のなかで、外に発表できるくらいうまくいっているのは、ごくごく一部の学校だけ」と言う話(p.210)はソースが欲しい気がする。ノーベル賞経済学者のヘックマンの研究などでは貧困層への就学前教育などは効果がとても高く、就学後も続ける方が効果が高いとなっているし、京都大学大学院の斎藤氏によるとKIPPはトータルで高等教育段階への進学率が高い

サッカーの「ドーハの悲劇」の敗因を、引用なしでさらっと書いてしまっているのは、かなり危うい何かを感じる(p.92)。書いていることがおかしいと言う事ではなく、これが一般に当然の事としてコンセンサスが得られているのかが分からない*2

そもそも最初のエキスパートは死滅して、プロフェッショナルが生き残ると言う話も、戦略コンサルのマッキンゼーの給料が高い事しか根拠が無い(p.37)。コンサルタント会社はプロフェッショナルな戦略系だけだとボリュームが取れないから、エキスパートな技術系の仕事もしていて、そちらの方がジョブ・スロットも多いのだが(@IT)。

著者の主張が間違っているとは主張しないし、裏付ける資料も確認しているのかも知れないが、こういう事実認識を当然のように語っていいのかは疑問がある。もちろんマッキンゼーの戦略コンサルタントにこういう事を言われたら、「そうなんですか!凄いですね!」と言う分けだが、本書には相手の肩書きで判断するなとあるので、根拠が怪しい部分は自己矛盾を抱えている気がしなくも無い。

5. 論理的な思考をするための手引書

批判的な論評が先行したが、中身の大半はある種のディベートのノウハウになっている。論理的な思考をするための手引書になっていて、誰かと何かを言い合うのに慣れていない人々は一読する価値はありそうだ。

しかし、授業で口頭ベースのレクチャーを踏襲している本だと思うので仕方がないのだが、全般的には浅い。レトリック本ではないので、論理的な正しさについては説明が無い。逆と対偶を混乱している人や、両刀論法を理解できない人も多い気がするのだが。統計分析の本ではないので、因果と相関、擬似相関の話はあるが、そうは多様なケースを説明しているわけでもない。

ディベート本ではなくて、ディベート思考本なので、この辺の踏み込みは考えた上でのことかも知れない。知識で押しつぶしたら、本書の趣旨とは乖離する。それでも最近の同種の紹介本のトレンドを踏襲して、推薦図書などが紹介されていても良かったかなと思う。

6. お詫びと感想

ソフトウェア・エンジニアで技術系の人間なので、元戦略コンサルタントの著作である本書は厳しく見てみた。妬みと僻みは人生の華なので、おかしい所は御容赦願いたい。上の第1節から第4節までの批判は、本書の瑣末的な部分に向けられている。正直言うと自己啓発本の類を読んだことが無かったので、どこをどう読めばいいのかが良く分からなかったのだが、最近はこういうお洒落な事も勉強する事は分かった。平和的な性格だから批判的な言動は苦手なのだが、今どきの若者は鍛錬されているらしい(><)

*1この場合は中の人に業務体制を確認したのだと思うが、広報に問い合わせないとインサイダー取引になる可能性もあるので、安易に真似をすると人生に打撃を受けるかも知れない。

追記(2013/04/05 00:50):瀧本氏から『ゲーム会社Sの話は、会社が業績に影響がない(証取法上の重要事実がない)と言っているにもかかわらず株価が下がっていたので、会社が隠している事実がないかを探って、会社の発表通りという話なのでインサイダーとは無関係』とのコメントを頂いた。

*2説明無しに述べられた著者の見解が妥当なものかが分からない。本書が批判する権威主義ではあるが、サッカー関係者の発言ならば技術的見地に基づく可能性が高くなる。

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