・・・と言いたくなるような問題が、『現代思想 3月臨時増刊号』に掲載された武蔵大学の千田有紀氏の論考にあり、トランスジェンダー女性のゆな氏が批判を加えている*1。トランスジェンダー女性の定義と言うか認識が誤っているそうだ。引用されている箇所を読む限り、確かにおかしい。
トランスジェンダー女性は、自分の身体的な性別や二次性徴が気に入らないなど性的違和(Gender Dysphoria)を持つと言う意味でのトランスジェンダーの中で、自分が異性と同じ感覚や振舞いをしていると言う信念を持っていると言う意味での性自認(Gender Identity)が女性である、身体的な意味では男性の人を指す。なお、男性器を除去する手術を受けたり、ホルモン投与を受けたりしている必要はない。ゆな氏が「単なるシス男性*2として暮らせたらどれほど楽だったでしょう」と書いているが、性的違和は自己制御できるものではない事になっている*3。ゆえに、千田有紀氏が説明するように、「トランス(女性)は身体とジェンダー・アイデンティティを自由に構築できるという発想を採用している」わけではない*4。
もっとも、千田氏の議論全体が変わると言うわけではない。ゆな氏は「ここが正当化されていないがゆえに、その後の議論は意味をなしません」と批判しているが、このように分類されることを受け入れたとしても、TERF(もしくはジェンダー・クリティカル)の人々もトランスジェンダー女性とシス女性を同じように扱うべきと言う話には直ちにならない*5ので、政治的理由で無理に拒絶する必要も無い。千田氏も、トランスジェンダー女性は考え方を改めてシス男性になれとは書いていない。トランスジェンダー女性とシス女性の相違を考えていく必要はあると思うのだが*6、コンセンサスの取れる定義を採用して欲しい。
ところで、千田有紀氏の作文のあちこちをゆな氏がひとつひとつ批判しているのだが、千田氏は主張の再整理が必要だ。シス女性と無差別に扱えというトランスジェンダー女性の要求を明確に認めず、さらにこの要求を実質的に撥ね退けているので、千田有紀氏はTERF/ジェンダー・クリティカルなのは間違いないのだが、争点を争点と認めることを避けた*7ため、議論が不明瞭になっている。マジョリティたるシス女性の利益のために、マイノリティたるトランスジェンダー女性の要求を撥ね退けるべしと言うのが、そんなに社会学者には言いづらいことなのであろうか。また、千田氏が拠って立つジュディス・バトラー流のジェンダー概念からは千田氏の主張は導けないし*8、シス女性が全体としてどのように考えているかのサポートが無い*9。
追記(2020/02/22 22:52):千田有紀氏が誤読だと反論し、ゆな氏が反反論しているのだが、千田有紀氏が、シス女性と無差別に扱って欲しいと言うトランス女性の人々の要望と、それを拒絶している自分の発言に無自覚なことが気になった。トランス女性に共闘を呼びかけると言うことは、トランス女性とシス女性が女性と言う同一カテゴリーの仲間ではない事が前提になっているし、「(シス女性とは別のトランス女性用のトイレを作るの)でよいのか再考するために論文を書いた」と、トランス女性の要望に対し支持を明確にしない。トランス女性が女性なのであれば、女子トイレを使うのは当たり前の話になるわけで、再考した上に態度を曖昧にするということは、トランス女性とシス女性は同一の性だと見なしていないことになる。すべてのトイレが男女共用(もしくは全性共用)になれば問題にならないと言うのも、トランス女性の要望を拒絶している。
追記(2020/02/23 14:21):ジェンダー社会学者の小宮友根氏が、論が不明瞭であることを指摘した。
追記(2020/02/25 13:45):ゆーき氏が「『千田先生のツイートをトランス排除的だと批判する人』に対する『千田先生の反論』」と指摘していた。
追記(2020/03/04 18:14):guriko_s氏が思いやりに満ちた解釈をして、千田氏が感激をしていた。
*1千田有紀「「女」の境界線を引きなおす:「ターフ」をめぐる対立を超えて」(『現代思想3月臨時増刊号 総特集フェミニズムの現在』)を読んで - ゆなの視点
*2生物学的な男性の意味。
*3虚偽申告は可能に思えるし、性自認は変化することが多々ある。
*4身体を自由に構築・・・もおかしいが自明なので省略。
追記(2020/02/22 23:41):この部分が誤読ではないかと言う話があるが、「身体もアイデンティティも・・・その再構築は自由におこなわれるべきではないかという主張・・・はトランスに限らない」と書いてあり、適切な要約に思える。あにまるえしっくす氏の両者の主張と千田氏の論文の比較検討を参照した。
*5むしろ、シスとトランスの相違点を明らかにすることになるので、同様に取り扱ってはならないと言う議論の方が導きやすい(関連記事:「トランスジェンダー女性は女性なのだから、女性として取り扱わないと差別」にどう反論すべきか)。
*6関連記事:トランスジェンダー女性はスポーツにおいて女性ではない
*7主張がぶつかっているのだが対立ではないとしているし、シスとトランスで扱いを変えるのだから差別なのだが差別ではないと主張している。
*8社会構築物に過ぎない男女という二項的なジェンダー概念を否定することで、この二項的な分類に依存したトランスジェンダーと言う概念を否定しているが、この理屈だと、そもそも男女で施設を分けることも否定され、女子トイレから男性を排除すべき理由が無くなっている。
*9シス女性側の感情を理由に、シス女性とトランスジェンダー女性を区別して取り扱うことを肯定しているが、シス女性が全体としてどのように考えているかのサポートが無いので論が危うい。また、シス女性には男性器に対する恐怖があるとしているが、男性器ではなく体格差に基づく恐怖ではないのか、トランスジェンダー女性にはそれがないのか、裸体を見せる女湯はともかく女子トイレをトランスジェンダー女性が使うことの是非には関係ないのではないか、色々と疑問が出てくる。男女でトイレを分けているのに防犯上の理由は薄い一方、男性のトイレ利用が汚いと言うような話もあって、男性器への恐怖よりもこちらの方が実際的に思える。
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