2016年10月3日月曜日

社会学者が功利主義への誤解を振り撒く

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また社会学者かよと思ったかも知れないが、また社会学者である。現代思想2016年10月号の社会学者の大澤真幸氏が、相模原障害者殺傷事件に関して「この不安をどうしたら取り除くことができるのか」と言うエッセイを載せているのだが、勘違いに基づく功利主義批判が展開されている。つまり、良くある功利主義批判と視点が逆の事を言っているので指摘したい。

功利主義は危険な思想である。功利主義に基づくと、他人に多くの快楽や幸福をもたらす人の生は重んじられ、逆に、他人に苦労を要求せざるを得ない弱者の生は軽いものになってしまうからだ。その弱者には、障害者や老人が含まれる。

生が重んじられる/軽んじられると言うのが分からない表現だが、飢饉で全員は助からないと言う状況などでは無い時の*1、財やサービスなどの割り当ての多寡と解釈しよう。労働能力が高い健常者と、労働能力が低い障害者を考えたときに、功利主義ではどのように財やサービスを割り当てるべしと言っているのであろうか?

同じ財やサービスから得られる幸福が両者とも同じであり、配分に関わらず生産が一定である事が条件になるが、功利主義者は等配分を主張する。功利主義は人々の効用(=幸福)の合算である快楽計算を最大化する事を正義としているが、限界効用逓減の法則があるので、なるべく等配分をした方が快楽計算の結果が大きくなるからだ。なお、「ベンサムは富の効用に関して、効用逓減の法則(…)ともいうべきものを認め,これを根拠として,富の分配は平等に近ければ近いほど,最大多数者の幸福を最大ならしめることができると説いた」ので、今昔かわらない功利主義者の主張である事がわかる。

生産を考慮し、労働意欲を増すために配分を変えるとしても、社会全体の生産量ではなく幸福量を問題にしているので、結論が大きく動くわけではない。少なくとも障害者や老人の生存ラインを下回る事は無いであろう。限界効用逓減の法則から、死なない幸福は贅沢する幸福よりも大きいものになるからだ。

ノーベル賞経済学者のアマルティア・センからは、大澤真幸氏とは逆の方向から批判が加えられている*2。功利主義では、同じ財やサービスから他人よりも幸福を得る事ができる快楽名人の配分を他よりも大きく、幸福を得る事ができない快楽下手の配分は他よりも小さくしないといけない。障害者や老人が楽しむ能力を失っているとすると、割当を減らす理由になってしまう*3

単なる障害者ではなくて重度の知的障害者であれば、古典的な功利主義ではなく、シンガー流の功利主義によって、安楽死を議論する事はできる。自分の将来に関する欲求を持つことができ無いのであれば、その生死自体は快楽計算に影響しない。ただし、大澤真幸氏は、重度の知的障害者と他の障害者の区分けをしていないので、この辺の議論を念頭に置いているわけでは無いであろう。

念のために述べておくが、相模原障害者殺傷事件の犯人を功利主義で正当化するのは極めて困難だ。重度の知的障害者を殺す事で、保護者が悲しむのであれば保護者の利益に配慮していない事になるし、不法行為を目にした周囲が自分も殺されるのではと不安に思ったらやはり不利益だし、殺害方法が余計な苦痛を与えるものであればそれも問題になる。シンガー自身も同事件は肯定できないとしている*4

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*1僅かな財を全員に配ると全員が死亡する状況、つまり生産能力のある人を優先的に生かす方がより多くの人間が助かる場合は、功利主義はそれを肯定するであろう。

*2厚生経済学者からみると、他に効用の個人間比較を受け入れているところが問題になる。それどころか、シンガーの議論を見ていると「あなたの幸せはコレです」と押し付けてくる所もあるのだが、ここではその問題については議論しない。

*3ところで人生が面倒になっている人々の大半は不遇な気がするのだが、因果関係が逆でなければこの点において社会は功利主義に従っていると言えるであろう。

*4Peter Singer in testy Q&A exchange on massacre of disabled in Japan | Daily Mail Online

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