昨日のエントリーにネット論客の青識亜論氏にもらったコメントで、「現代社会は相いれない価値観の持ち主が共生しなければなりません・・・」と言うのがあったのだが、ラディカル・フェミニズムは「個人的なことは政治的なこと」と言うスローガンで、社会の価値観を書き換える運動を展開しているので、相いれない価値観と共生すべしと言う前提を共有していない事がよく理解されていないのが気になった。
特段、ラディフェミが異常と言うわけでもなく、実際、飼っている動物を虐待すると、他人に危害は及ばないのに刑事罰を受ける。「あえて見ない」と言う振る舞いでよしとされない。メディアに関しても、既に表現規制は行われている。リベラルはポリコレにうるさく、欧州ではヘイトスピーチも規制され、思想の多様性は言うほど尊重していない。道徳相対主義は容易に破綻するので、社会が許容できる多様性が実は広くないのは、そうおかしい話ではないが。いや、英文法すら書き換えたのは、ちょっとおかしい。
ラディフェミに賛成しろと言う話ではなく、そういうものだと言う把握が必要だと言うこと。リベラル・フェミニズムが性差ミニマリズムな主張を取り上げて、ラディカル・フェミニズムが本来のフェミニズムではないと主張するような、藁人形論法的な発生論の誤謬*1なども気になるのだが、批判する相手についてもっと把握すべきでは無いであろうか。かなりの年数、ああだこうだ言っているわけだし。
*1どちらも1960年代に出てきた第2波フェミニズムの支柱で、どちらが主流云々と言うのは無い。
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