2019年12月9日月曜日

過去のフェミニズムの議論からは、性的モノ化された萌え絵が有害の可能性は低い

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ネット界隈での表現の是非に関する話題において、性的モノ化(sexual objectification)*1と言う単語を見かけることが多くなった。性の商品化などとも表現される概念で、萌え絵の是非が問題になる文脈では、概ね女性キャラクターの性的魅力を過度に強調する、もしくは性行為を連想させる表情や仕草をさせる作画のことを指している。

牟田和恵氏あたりのジェンダー社会学者は、この性的モノ化と言う単語を議論に持ち込んだ上で、特に詳しい説明なくこの性的モノ化を悪として、性的モノ化されているとして萌え絵を非難することがある。しかし、実はフェミニストの議論において性的モノ化されたキャラクターの表現物が問題なのか、どのように問題なのかは自明ではない。

ジェンダー社会学者の小宮友根氏の昨日のエッセイ*2でも、著名フェミニストのヌスバウムとイートンに言及した上で、独自の性的モノ化の倫理的問題点を議論していた。勘のよい人はヌスバウムとイートンの名前に言及する一方で、その議論の中身はほとんど紹介されていないことが気になったであろう。実はヌスバウムとイートンの議論を踏襲すると、大半の性的モノ化されている(とされる)萌え絵に倫理的な問題を主張できないので、小宮氏の主張の流れから行くと邪魔な情報になってしまうのだ。

  • フェミニストの倫理学者ヌスバウムは、人格である存在(パーソン)を道具として扱ってしまうことがモノ化の諸々の道徳的問題の起因であると論じた*3が、女性キャラクターはモノであってパーソンではないので、ヌスバウムの議論に沿っては倫理的な問題は直接生じない。グラビアやポルノであれば出演している女性がモノ化する可能性もあるが*4、非実在人物の絵である*5
  • イートンの性的モノ化された女性を描いた絵画の議論でも、性的モノ化自体が悪とは言っていない。美術の世界における男女の非対称性、つまり、男性も裸体を絵画の素材として扱われるが、その描き方はだいたい主体的で力強く行動的であり、さらにはクリエイターとしても美術に関わっている一方、女性の大部分の役割はステレオタイプの性的モノ化された裸婦で、従属的な役割に甘んじていることを問題にしている*6。しかし、萌え絵を含むマンガやアニメの世界では女性の描かれ方は多様であり、女性クリエイターの活躍も著しいことを考えれば*7、女性が従属的な役割にとどまっているとは言えず、イートンの議論においても性的モノ化された萌え絵の有害性は言えない。

つまり、小宮氏が参照している範囲でだが*8、過去のフェミニズムの議論からは、性的モノ化されているとされる*9萌え絵は無害と言える蓋然性が高い。

小宮氏も苦労しているようで、過去のフェミニズムには無い(であろう)議論を重ね、女性を性的モノ化して捉える男性の視点が引き起こすセクハラなどによって抑圧されている女性は、同じ男性の視点によって性的モノ化された女性が描かれた表現物を見ることによって、セクハラなどと同様の抑圧を感じると言う独自の理由によって性的モノ化の弊害を訴えている*10。女性キャラクターの性的モノ化の倫理的問題を指摘するために、新たな視点が創造されたのだ*11

*1性的対象化、性的目的化とも訳される。

*2炎上繰り返すポスター、CM…「性的な女性表象」の何が問題なのか(小宮 友根,ふくろ) | 現代ビジネス | 講談社(1/9)

なお、本論とは逸れるのだが、以下の2点の結論に必要な議論はほとんど無かった:

  1. 性的暴行の被害者の服装や行動を被害の原因とする二次加害発言をする人の考えと、「望まない性的接近のエロティック化」をする人の考えの関連
  2. 「批評やファンタジーとして読解する能力の未発達な子ども向けの作品などについては、そこで本当に性的客体化の表現を用いるべきなのか十分慎重に検討すべき理由があることがこれまで述べてきたことからわかる」

他にも髪を耳にかける仕草が「性的なメタファー」だからダメと言うのも、謎である。「ある女性観がどの程度差別的と言えるかも、歴史的・社会的に変化する」と言うのは、歴史的・社会的に道徳的とされる女性の取り扱いが変化するというだけで、倫理的に正当な女性観は時代や社会に対して不変であるべきであろう。

*3江口 (2006)「性的モノ化と性の倫理学」現代社会研究, 9号, pp.135–150

*4AV女優なので、セクハラもクソもあるもんかという態度で接してこられることは決して少なくはなく」と言う証言がある。ヌスバウム自身は、『PLAYBOY』誌のグラビアを不道徳な例に挙げている。写真の構図とつけられたキャプションから、テニスをしており、自分がそのように見られていると考えている女優を、アンダースコートが見えていることに価値がある性的なモノとして捉えていることが分かるそうだ。現代から見ると、テニスウェアのアンダースコートが見えて嬉しい時代があったんだ・・・と言う感じである。

*5集団を代表するキャラクターを性的モノ化した場合、その集団の構成員も性的モノ化される恐れはあるので、その場合は道徳的な問題になりうる。碧志摩あおしまメグ騒動のときに、現役の海女で性的すぎることを理由に反対している人々は、このような考えであった可能性はある。具体的な事例は思いつかないのだが、似たような現象として女子生もののアダルトビデオに感化されてか、制服を着た女子生は性的メタファーなので公共広告にそぐわないと主張していた社会学者がいたのだが、彼は心中、女子生徒を性的モノ化していたのかも知れない。

*6Eaton (2012) "What's Wrong with the (Female) Nude?" In Maes and Levinson "Art and Pornography: Philosophical Essays," Oxford University Press

A. W. イートン「(女性の)ヌードのなにがわるいのか?」PART II - Lichtung

上のイートンの議論は、自身の希望に関わらず常に女性が性的モノ化されてしまう社会風潮の現われとして女性表現の性的モノ化を捉える一方、性的モノ化された女性の表現しか目に入らないことが、その社会風潮を美化し固定化するような議論になっているが、社会風潮を固定化すると実証的に言えるかはよく分からない。

*7現在では少女マンガのみならず、少年マンガでの人気作品の多くを女性が手がけている。高橋留美子、さくらももこ、荒川弘が例外的な存在と言うわけではない。

*8世界は広いので色々なアイディアがありそうだが、詳しく調べるのはジェンダー論研究者にお願いしたい。

*9ジェンダー学者たちが炎上する際に非難した萌え絵の数々は、そもそも性的モノ化になっているのか怪しい。

*10しばらく前から、同様の主張をしている(関連記事:ジェンダー社会学者によって「お気持ちフェミニスト」が適切な表現であることを示される)。昨日のエッセイでは、過去の性的モノ化の議論の言及と、マンガにおける性的モノ化が具体的に何であるか詳細の説明がついて、(本当に萌え絵を見ることで抑圧を感じるのか、その抑圧はどれぐらい大きなものかと言う残課題があるにしろ)議論が大きく前進した。

*11害を主張するために、害に見える新たな視点を捻り出した気もするが、案外、的を射ている可能性はある。京都女子大学の江口聡氏も「ポスターそのものが単体で性差別的であるというよりも、むしろポスターに不快を感じる(主に)女性たちの観点や感情が軽視・無視されてしまうことについての、社会的な無理解や無関心こそが問題である」可能性に言及している。

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