2019年11月22日金曜日

ジェンダー社会学者によって「お気持ちフェミニスト」が適切な表現であることを示される

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ジェンダー社会学者の小宮友根氏の雑誌『世界』に掲載された「表象はなぜフェミニズムの問題になるのか」と言うエッセイがウェブで公開されたのだが、そこでネット界隈のフェミニストの近年の創作物への非難が気分が悪いと言うだけの話であることが高らかに宣言されていた。萌え絵などの問題の表象はなぜか女性差別を連想をして気分が悪いと言うだけの話だったらしい。

1. 論点は女性への抑圧を連想させるか

長々と書いてあるが、論点は簡単だ。現実に悪影響を与えるか否かは問題にしておらず、絵画や広告など創作物の表象には、見た人が特定の物事や背景を連想する文化的・社会的記号(コード)が含まれ、それが「(育児・介護*1、セクハラ、性暴力の)問題を抑圧的に感じている者にとっては、それらは同種の抑圧として経験されうる」のが問題だそうだ。抑圧と表現されているが、何も感じない人は抑圧されていないことになるので、要するに、ある種の表象は変な連想をして気分が悪いから目の前から消したいと言っている。

2. 論理の飛躍は多く残る

論証してもらわないといけない疑問は多い。問題になった広告/マンガ/アニメの表象が、育児・介護、セクハラ、性暴力の問題といった女性への抑圧を連想させると言えるのか、抑圧そのものと同じような規制されるべきほどの「悪さ」と言えるのか。ごく一部のフェミニストが女性への抑圧を連想して不愉快になるとしても、規制したり自粛すべきとは言えない。功利主義で言えば、マンガ/アニメの表象が人々にもたらす快楽の合計の方が、それから勝手な連想する人々の不快感の合計よりも大きい場合は、広告/マンガ/アニメの表象は放置されるべきだ。

裸婦が「(女性の身体)を芸術作品として絵画にすることで鑑賞/所有しようとする男性との非対称な関係」を示す文化的・社会的記号だと言うパーカーとポロックの粗があり過ぎる議論*2が紹介されていたが、近年、話題になってきた広告/マンガ/アニメの表象は着衣がある。また、裸婦画から男女の非対称な関係を連想する人々は少数であろうし、女性への抑圧まで連想できる人々は僅かであろう。女性の抑圧を多くの人々に連想させるとしても、その連想が女性に(女性の権利が不当に制限されていると言う意味の)抑圧として不愉快に感じられるとまで言えるのか疑問だ。

3. 二重の意味で「お気持ちフェミニスト」節

「(人々が感化され振る舞いが悪くなるなど)現実への悪影響」以外の視点を持ち込むことで、悪影響を実証しろと言う批判を回避しようとしたわけだが、問題になった表象が女性への抑圧を広く連想させるものなのか、連想させるとして規制されるべきほどの「悪さ」と言えるのかを実証しないといけないので話がまったく前進していない。気持ちが問題であり、さらに気持ちが悪くなる根拠が気持ちだけと言う、二重の意味で「お気持ちフェミニスト」節になっている。

ところで(ネット界隈で多数の非難を受けるという意味で)炎上して来たのはフェミニストであって、小宮氏が冒頭で列挙している数々の表象ではない。認知的不協和を起こしている。

*1本論からはそれるが、「ケア労働が女性に割り当てられていることが公的領域における男女の不平等を維持させている大きな要因である」としても、人々の幸福追求の観点から女性が育児や介護などケア労働を主に担うことに合理性があるのであれば、この家庭内で定まる性別役割分担を抑圧と見なすのは不当に思える。

*2「女性に厳格な性道徳が求められた一九世紀以降に逆に女性ヌードが頻繁に描かれるようになった」としているのだが、裸婦画が描かれるようになったのはキリスト教の性道徳の影響が低下したためであろう。それまでは神話を描いたと言えない場合は、異端審問にかけられて廃棄される可能性があったとされる。

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