2019年11月14日木曜日

家族政策を語る前にとりあえず読むべき『「家族の幸せ」の経済学』

このエントリーをはてなブックマークに追加
Pocket

結婚や子育ては(最後の離婚以外は)大半の人は一生のうちに経験することだが、実際のところ他所の事情はよく知らない。日本や世界についてになると、なおさらだ。皆さん興味があることだが、知っているようで知らないのが家庭の問題とも言える。ネット界隈で家族政策についての言及がよく炎上気味に話題になるのは、こういう事情が作用している。

情報が不足している。インプットせねばならない。何から読むかは難しいところだが、東京大学のついったらーで経済学者、山口慎太郎氏の家族経済学の新書『「家族の幸せ」の経済学 データ分析でわかった結婚、出産、子育ての真実』から入ってみよう。章のテーマ別に、経済学でどんな研究がされているか分かる本。無数の研究がある中で一部の有名研究をピックアップしているのだと思うが、ネット界隈でも話題になるぐらいのものは概ね網羅しているし、参照している分析や研究の限界などにも留意しているので安心して素直な人にも推奨できる。ちょいちょいと数行の著者の体験談が入って、文を軽いのもよい感じである。

理論的背景の説明もあるが、計量より。山口氏のシミュレーションの研究が例外となるが、結婚・出産・育児・離婚についての各種の統計、計量分析の結果を紹介している。断定口調ではなく、抑制的。主に学部生を念頭に置いているのだと思うが、離婚率という指標自体に入る問題点を詳しく注意してあったり、計量分析の解釈も複数の要因の可能性を丁寧に列挙しているし、政策効果が国や地域、そして社会階層で異なる可能性にも注意喚起している。これぐらい慎重に書いてもらえれば、保育園ではなくて保育所ではないかなとか、「きょうだい間」(p.105)は誤変換だよねとか、「子どもの最善の利益」(p.251)の「最善の」は不要、かつて、分業の利益がはっきりしていたと言うのの「かつて」が、高度成長期の都市部の家庭で、時期的地域的に限られることが分かるように書いて欲しかった(p.37)のような、本当にどうでもよいことしか文句が思いつかない。

しかし社会学者ばかりに難癖つけんなよと言う声が聞こえてきそうなので、経済学者の仕事にも難癖をつけよう。

  1. 出生児の体重の話(pp.74—75)のように、母乳育児の効果(p.96)についてもう少し効果量について言及して欲しい。有意性があるとだけ聞くと、大きな効果量があると思い込む人もいるので。モノによっては誤差を示さないといけなくなるから、記述が煩雑になりすぎるかも知れないが。
  2. 第3章「育休の経済学」の山口氏の研究のシミュレーションのところ(pp.130—138)だが、一般に数理モデルの想定を少し変えるだけでシミュレーションが示す未来予測は大きく変化する傾向があることが分からないので、この点を留保する記述が欲しかった。常識的な範囲で前提を変化させても同様の結果が出る気もするので、それを確認している場合はそれをアピールして欲しい。
  3. 第5章「保育園の経済学」の山口氏の研究紹介のところ(pp.191—213)は、もう少し因果推論に関する議論があってもよいかなと思う。基本的には保育所利用の母親と子供と、保育所未利用の母親と子供を比較して、保育所が子供の発達と母親の幸福にプラスの貢献をしている、学歴によって介入効果に差異があると言う結論を導いているのだが、ヘックマンの長期ランダム化比較実験の分析と異なりランダム化されていない限界があるため、計量分析の解釈には留保が必要になる。計量分析で他の要因をコントロールしているとは言え、子供を保育所に預ける母親と、そうでない母親が同質とは限らない。極端な可能性を考えると、遺伝的に*1多動性や攻撃性が高い母親は、就業能力が低く保育所を利用しない傾向が強いであろうし、育児からのストレスも高く幸福度も低いであろうし、さらに、その子供も多動性や攻撃性が高い傾向になる。保育所が子供の発達と母親の幸福をもたらすのではなく、よく発達する子供と幸福な母親が保育所を利用している可能性がある。遺伝的要因とともに発育環境が影響を及ぼすという正当化はされている(p.198)が、遺伝的要因で効果量が過剰推定されている可能性は排除されない。「ここで説明した、子どもの行動面が改善される仕組みは、データ分析の結果と整合的ですが、まだまだ明らかになっていない部分も多く、さらなる研究が必要です」(p.213)とあるので、本書の記述に問題があるとは言えないのだが、個人の好みとして。

想定読者は細かい話をされても困るだろうし、上に挙げた3点は無理に考えた話なので、社会科学として家族の問題に興味がある人は、気にせず本書を読んで欲しい。全般的に浅めな感じで飽き足らない人はいるであろうが、家族経済学の本格的な教科書を書くように著者に要望していこう。計量経済学、統計的因果推論を学んで、参考文献の論文を読めって言われると思うけれども(;´Д`)ハァハァ

追記(2020/01/22 10:55):ツッコミを見かけたので追記しておきたい。

*1Yamaguchi, Asai and Kambayashi (2018)のTable 4を見ると操作変数は夫婦の年齢と学歴、地域、世代、地域特性、家族特性となっており、残念ながら家族特性の中身が分からなかったのだが、もしかしたら家族特性に母親の気質などの代理変数が含まれているかも知れない。

0 コメント:

コメントを投稿