2013年9月18日水曜日

新古典派成長モデルも忘れた池田信夫

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経済評論家の池田信夫氏が「近代社会とは何か」で、経済学に対する誤解を披露している。自立した市民云々と言う部分や、マルクス経済学における国家の位置づけはともかく、今風の経済学を全く理解していないようだ。理解できない単語を並べ立てるのを経済学だと思っているのかも知れないが、世間に誤解を招きそうなので吹聴するのは辞めて欲しい。

まず、池田信夫氏は合理的と道徳的の見分けがついていないようだ。「資本主義をつくったのはそういう合理的個人じゃなくて、海賊や奴隷商人だった」と述べているので、海賊や奴隷商人が合理的な市民ではないと見なしているようだ。中世の海賊(私掠船)は公認だし、奴隷取引は違法では無かったし、不道徳であっても彼らの行動は経済合理性に裏打ちされたものであった*1

次に、池田信夫氏は新古典派成長モデルの存在を忘れてしまったようだ。「そもそも資本蓄積という概念がないから、成長しない」と新古典派経済学を批判しているのだが、新古典派成長モデルであるソロー=スワン・モデルは資本ストックの蓄積を描写しているし、それを発展させたOLG*2RBC*3などのマクロ動学モデルは新古典モデルの系譜だと考えられている。なお「成長しない代わりにバブルも金融危機も起こらない」とあるが、成長しない世界でのバブルや金融危機の論文もある。

そもそも、ミクロ経済理論の大前提を理解していないかも知れない。『法律も宗教も国家もなく、自己完結的な合理的個人が「効用最大化」によって等価交換の均衡状態をもたらす』とあるが、純粋交換経済のモデルでは所有権は保証されている。政府や法律は明示されていなくても、その機能が果たされている事が前提だ。また個人の効用に宗教が影響する事も否定していない。

これらは誤解されやすい部分ではあるが、池田氏が今まで書いてきた書評を考えると、池田氏の誤解は驚愕に値する。池田信夫氏は"Rational Choice"とその訳本の「合理的選択」の書評をそれぞれ書いていたはずなのだが、これらの本で丁寧に説明されている合理性については理解していない。また国家が成長に与える影響が論じられているはずの「国家はなぜ衰退するのか」の書評も書いていたのだが、法律も国家も考えられていないと主張している。

池田信夫氏は「学生時代にマルクスにかぶれたことは幸運だった。社会の見方が根本的に変わった。それを卒業するのに20年ぐらいかかった」と言っているのだが、色々な本を読んでいるのにも関わらず、近代経済学のフレームワークを理解しているように思えない。また、「搾取」や「本源的蓄積」と行ったマル経用語を当然のように使い続けている所を見ると、マルクス経済学への信奉をやめる事がまだできていないようだ。

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