同じエントリーを続けて批評するのは気が引けるのだが、池田信夫氏がHart(1995)を参照して『ハートが明らかにしたように、雇用契約という奇妙な長期契約が結ばれるのは、近代社会では奴隷が禁止されているからだ』と言っているのだが、書かれていない文章が見えるのは何かの病気なのでは無いであろうか。
まず、雇用契約の議論はほとんど無い。また、検索してみたのだが、奴隷制(slavery)に言及している部分は以下だけだった。奴隷制では雇用における問題が生じないとは書いては無いし、ましてや奴隷制の禁止が長期の雇用契約をもたらすとも議論していない。
Excluded are the human assets of those people working for firm B; given the absence of slavery, the human capital of these workers belongs to them both before and after the acquisition. (拙訳:排除されるのは、企業Bで働く人々の人的資本である。奴隷制が存在しない事を仮定すると、買収の前と後の両方における労働者の人的資本は労働者に属する。)
Hart(1995)には第4章1節で長期契約の議論もあるのだが、完成品メーカーとの交渉がもつれる可能性から、部品メーカーが投資を縮小してしまい商機を逃すようなホールドアップ問題を議論していて、奴隷制の議論と乖離がある。
労働者が特定会社の業務スキルを身に付ける場合も、ホールドアップ問題は発生する。しかし、これは他の職場では無能になるから会社側が有利になる問題で、奴隷の禁止が会社側の都合で長期契約を生じさせると言う議論にはならない。
長期の雇用契約が結ばれるのは、奴隷制でなくても会社側が有利になるからだ。そもそも会社側から見て、すぐに辞職できる雇用契約は労働者の長期勤務を保証するものではない。なお米国史を見ると、労働者の長期拘束を意味する年季奉公が奴隷制へ移行している。
Hart(1995)ではP.59のあたりで人的資本が経営に影響を与える場合を議論していて、こちらを見ると奴隷制に問題がある事が分かる。重要な人的資本を持つ労働者が所有権を持つ方が、ホールドアップ問題は緩和される。逆に考えれば、奴隷は自身の労働の成果に所有権を持たないので、見返りが無いから努力しない。
池田信夫氏はHart(1995)に所有権が集中している方が効率的だと書いてあるように思っている気がするのだが、Hart(1995)は投資や努力と報酬が結びつくように所有権を配分すると効率的になると説明している。だから奴隷の努力が重要であれば奴隷制は非効率だし、重要でなければ交渉問題はそもそも生じない。
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