零戦開発の主任技術者である堀越二郎をモデルにしたとされる映画「風立ちぬ」を製作したジブリ宮崎駿監督が、堀越二郎の自尊心を非難する発言を行っている。何でも、零戦で誇りを持ってはいけないらしい。宮崎駿監督と実在の堀越二郎が対談をしたら、つかみ合いの喧嘩が始まるのではないかと思われる。
宮崎監督の発言は以下になる(ビジネスジャーナル)。
今、零戦の映画企画があるらしいですけど、それは嘘八百を書いた架空戦記を基にして、零戦の物語をつくろうとしてるんです。神話の捏造をまだ続けようとしている。『零戦で誇りを持とう』とかね。それが僕は頭にきてたんです。子供の頃からずーっと!
以前にも朝日新聞の宮崎駿監督へのインタビューで同様の主張をしていた。
零戦、零戦と騒ぐマニアの大半は、コンプレックスで凝り固まり、何かに誇りを持たないとやっていけない人間です。思考力や技術力を超えた堀越二郎の天才的なひらめきの成果を、愛国心やコンプレックスのはけ口にして欲しくはない。
ところが実在の堀越二郎は零戦に誇りを持っていたし、他の日本人もそれで誇りを持っている事に満足を覚えていた。堀越二郎の著作「零戦 その誕生と栄光の記録」の最後の段落を引用しよう。
このように、零戦こそ当時の日本人の創意と不断の努力が、みごとに結晶したものだったということを、多くの日本人および世界の人が認めてくれている。そして、その零戦を生み出した技術の伝統や技術者魂は、いまもなお、日本人の中に生きていると思う。当時、喜びと苦しみをともにした多くの仲間も、まだ大部分健在で、航空技術だけでなく、広く日本の技術がさらに飛躍するように尽力されている。私は、私の半生をかけたこの零戦が、なおも日本の技術と日本人の心の中に生き続けているのを知って、深い安堵と満足を覚えるのである。
なお実在の堀越二郎は非喫煙者で、海無し県出身だったので魚よりは肉が好きで、須磨子夫人と見合いで結婚して子供を6人もうけたそうだ。また尊敬する人はシコルスキーでカプローニではなく、「技術者の仕事というものは、芸術家の自由奔放な空想とはちがって、いつもきびしい現実的な条件や要請がつきまとう」と言っており、宮崎駿監督のように「設計に必要なのはセンスだ。技術はその後についてくる」とは言っていない。そして兵器を作ったことに関して、特に悔恨の念は無いようだ。著作に九六式艦戦と零戦の戦果が素晴らしい事が誇らしげに書かれている。
1 コメント:
真っ当なご意見です。
以下余談となりますが・・・
今年、所沢の零戦の前で堀越氏の息子様が話されたのですが、風立ちぬの印象でまず最初に「父は酒もタバコも一切やらなかった」と言っていたのが印象的でした。もちろんその後宮崎氏をホローする為にご自身はタバコを吸った経験と昔の喫煙社会の姿を話されていましたが・・・・
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