2018年4月19日木曜日

5年経っても「道徳教育」がスカスカなままな件

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5年前、政府は道徳教育の拡充を図り、中学校に「心のノート」なる教材を導入した。びっくりするぐらい中身がスカスカ*1で、気づくと伝統的規範のふりをした虚構の産物「江戸しぐさ」が教育現場に入り込むことになった*2。しかし、政府は懲りずに今年度からは小学校の道徳の教科化を行なった。やはり、現場で混乱が起きているようだ*3

学問として道徳もしくは倫理を教えると言うのは困難が伴う。人類はまだ正しい道徳なる方向性を見出しておらず、論者によって正義が分かれているから、具体的な規範を押し付けるわけにはいかないからだ。例えば、積極的に手を下して少数を犠牲にすべきか、傍観者として多数を犠牲にすべきかと言うトロッコ問題を考えたときに、功利主義では前者が道徳的になると教える事ができても、普遍的に前者が道徳的とは言えない。

学問的なカリキュラムを組むとしたら、大学の講義がそうであるように、学説史を教えることになる*4。しかし難易度は低くない。分かりにくい学説と学説の違いを把握しないといけない。カントのように重要だが理解不能そうなもの*5から、経済学者が出してくる効率性や無羨望などのややこしい定理*6についていくのは大変だ。また、生徒が信仰する宗教を批判するような内容も含みうるので、トラブルが絶えないかも知れない。

学問としての道徳や倫理は、小中学生向きの内容ではない。現実的な策を模索すると、歴史研究家・文明史家の原田実氏の意見だが、きちんとしたマナー教育を行なうと言うのが一つの方法で、こちらは慣習なのである程度の正解があるから教えるのは容易だ。アメリカのホームパーティーでコーヒーのお代わりをもう一杯いかがか聞かれたら、もう遅いからとっとと帰れという意味らしいが、少なくない日本人留学生はThank youと言ってしまっているらしい。きっと需要はある。

失敗学のような事を教えてもよいであろう。溺れている子供を助けようと飛び込んで、暴れる子どもに身体をつかまれて一緒に溺れた大人や、地震がおきたのに津波を予想せずに海岸で遊んでいて被害を受けた遠足の話や、台風による増水を予期せず中州にキャンプを張って流された人々の話や、洪水の後に屋内が乾ききる前にブレーカーを入れて火事になった話などは、場合によっては人生の役に立つ。

もちろん、道徳教育自体を諦めるというのも一つの手だ。他の科目の授業時間が足りているとは聞かない。

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