2023年10月20日金曜日

ネット界隈では男女論が好きな人々に読んで欲しい『ジェンダー格差 — 実証経済学は何を語るか』

このエントリーをはてなブックマークに追加
Pocket

話題になっていた牧野百恵『ジェンダー格差』を拝読したので感想を記しておきたい。著者は実証ミクロ/開発経済学者で、ちゃんと経済学の実証(empirical study)の考え方を説明し、基本的にはそれに基づく議論がされている。因果ではなくて相関では? — うわぁぁんと言うやり取りを常日頃している世界で通用する話。ジェンダーギャップ指数などもその中身を丁寧に見ている方である*1

多種多様な研究に言及去れているので勉強になり、個人の経験則やフェミニスト活動家のプロパガンダ的主張を超えた議論の根拠になる。SNSでは数学教師の女性蔑視が原因で数学を勉強しなくなったと言う怨恨が以前より観察されているが、本書では数学教師のステレオタイプが女子の数学の成績に影響することはCarlena (2019)で定量的に評価されていることが紹介されている。ある個人の感想ではなく、みんなのお気持ちであったわけだ。著者のフィールドであるパキスタンやバングラディッシュにおける女性の外部労働に対する固定観念の話は興味深かった。縫製工場で労働することに対する偏見はあるのだが解消される傾向にあり、また人為的な介入と言うか啓蒙活動でそれを促進することもできるそうだ。なお、取り上げている事柄は多様だが、偏見と言うか固定観念の影響が小さく無いというのが著者の問題意識だと分かる。

難が無いわけではない。論拠の多くに関連した研究が紹介されているが、無いものもある。「女性は男性と同等の能力があっても、本人が望むと望まざるとにかかわらず昇進しづらい」(p.41)とあるが、少なくとも日本では女性の管理職を増やそうという動きが長らくあるので、無根拠に断定されると困惑する。明治時代に女工になったら嫁にいけなくなるような話があった(p.56)のだが、寡聞にして知らなかったので何か出典がほしかった。中国の新生児の性差は、出生前の性別鑑定からの中絶増加(p.50)ではなく、戸籍登録の問題かも知れない*2。原論文の長い記述をまとめる意義が乏しという判断な気がするが、議員の有能さ(p.98)は何か説明が欲しかった。

論理に飛躍を感じる記述もある。母系社会では女性の方が競争を好むが重職に男性が多い(p.79)と言うのは、競争を好む性質が意志決定にどうでもよいことを示している気がする。家父長が世間様の目を気にして女性の外部労働に反対するとしても(p.111)、家父長制が問題の原因と言えるのかはよく分からない。反射的な回答にジェンダーバイアスがある(p.90)としても、実際の意思決定は異なる場合もあるので、バイアスの存在が社会を説明するとは限らない。「女性の高学歴化、社会進出は少子化の原因ではありません。」(p.187)とあるが、これは実証研究から明確に言える話ではないはずだ。

就学期間が長くなると第一子の妊娠出産を遅らせることになるのはよく知られており、女性の高学歴化は人口抑制策の一つとして考えられてきた。北欧では高学歴者の女性の方が結婚して出産をしやすいことが論拠なのだが、これは統計的因果推論を行って観測された法則ではなく、強い証拠ではない。同類婚が強い社会であれば、女性が全体として高学歴化すると、高所得男性の結婚相手が高学歴女性に集まってしまい、低学歴女性が経済的制約で結婚出産しづらくなる。高学歴化によって少子化と同時に高学歴女性の方が出生率が高くなるようなこともありえる。男性の育児参加によって女性の負担が減れば少子化が解消されるようなことも考えている気がするが、父親も産休をとれるようにすると、母親の就業が支援されて次の子どもがつくられにくくなるという自然実験の結果もある(Farré and González (2019)*3

男女賃金格差の原因は差別ではなくて選好の結果だと言う実証研究を示した上で、その選好は固定観念によって形成されている可能性があると著者は注意するわけだが、(経済学界隈での議論ではないせいか本書では言及されていない)男女差別がなくなるほど男女の選好の差によって男女の進路に差異が出てきて男女格差が広がるジェンダー平等パラドックス(gender-equality paradox)を考えると、伝統的な偏見が影響していると考えるのは難しい。固定観念は緩やかにでも解消されていくわけで、強化されるわけではないからだ。著者がどのようにジェンダー平等パラドックスに説明をつけるのか気になる。

*1女性が男性に劣っていない指数であって、男女平等指数ではないところとか、何となく話の流れの都合で無視されている気はする。

*2中国のジェンダー・インバランスは(2015年までの)一人っ子政策によるペナルティー避けるための出生届けの忌避が原因と言う話があり、1990年の出生数を見ると男児の出生数の方が多かったのだが、2010年の20歳人口を見ると総人口も400万人増えた上に、女性の方が100万人多くなっていた(China: Study finds millions of 'missing girls' actually exist - CNN)。

*3関連記事:父親も産休をとれるようにすると、母親の就業が支援されて、次の子どもがつくられにくくなる

0 コメント:

コメントを投稿