訳本『イン・クィア・タイム』の帯を書いた王谷晶氏のツイートにペドフィリアとチャイルドマレスターを混同するペドフィリア蔑視があると*1、本の翻訳者の村上さつき氏らがハッシュタグ「#ペドフィリア差別に反対します」を用いて𝕏/Twitterで王谷氏の非難をはじめ、村上氏と氏に同調した人々がアカウントを凍結された*2。
問題発言は批判するべきで、検閲は避けるべきだと思うが、ペドフィリア差別反対者の議論の前提に色々と問題があるので指摘しておきたい。
- ペドフィリアは精神医学で定義された性嗜好障害の一種で*3、(二次性徴を迎える前、操作的には13歳未満と定義される*4)児童と性行為をしたいと思い始め、成人女性との性行為などでは性欲を満たす事ができず、欲求不満で日常生活に支障をきたすか、児童との性行為を試みるような状態。
- 成人も性的対象になる場合は非排他的なペドフィリアと言うが、成人の方をより好む人々は含まれない*5。また、ペドフィリアはパラフィリアの一種なので容易に自制できる場合はペドフィリアにならない。
- 精神医学や心理学の世界では、ペドフィリアは性的指向、セクシュアリティではないとしている。異論もあるのだが、性的指向は性別区分による概念で、年齢区分ではなく、さらに同性愛のようにケア不要な正常な状態だとみなされたり、性的興奮と愛情を混同することを避ける目的のようだ(Fedoroff (2020))。
- 精神疾患の診断・統計マニュアル第5版(DSM-5)から、疾患名PedophiliaはPedophilic Disorderと置き換えられたが、内容に変更はない。また、Pedophiliaに別の意味は定義されず、同義語になっている*6。実は、DSM-5の最初の刷にはペドフィリア的性的指向(Pedophilic Sexual Orientation)と書いてある部分があって、アメリカ心理学会からPedophiliaは精神疾患だと抗議が出されて*7TYPOとして削除された*8。
- 日本語圏で、性嗜好障害とまでは言えない児童への性的興味関心、それを抱いている人々もペドフィリアと呼ぶという主張が散見されるが、チャイルドマレスターをペドフィリアと呼ぶような精神医学用語の濫用にすぎない*9。なお、現時点での日本語Wikipediaのペドフィリアのページは、精神医学用語ではなく一般的な概念としてのペドフィリア(小児性愛)を説明するとしつつ、精神医学用語としての説明がされ、それを前提とした国外の文献を参照しており、記述に混乱が見られる。
- 「未成年者に対する性的関心を、個性や性的嗜好として助長または正常化する」行為は𝕏(前Twitter)をはじめ、多くのSNSの規約に違反する。
- 二次性徴を迎える前の児童には性的同意能力が無いと看做されるため、ペドフィリアが願望を叶えるとただちに違法になる。これに関連して同性愛も過去に犯罪であったと言う指摘があるが、相手が一定年齢以上であれば性的同意能力はあるため不徳ではないと理解され、現在では合法になっているので類比にならない。
- 異なる文化圏にいけばペドフィリアも適法と言う主張が散見されるが、二次性徴を迎える前の児童との性行為を正常と看做す文化圏はよく知られたものには無い。イスラム圏に行けば結婚はできるという指摘もあるが、児童婚がある社会も結婚したからといって性行為を行うかは別だし、近年はイスラム圏でも結婚最低年齢を引き上げている。サウジアラビアが18歳、インドネシアが19歳、イランが女子13歳、バングラデシュが女子16歳。
- ペドフィリアはチャイルドマレスターとは限らないが、ペドフィリアが児童性虐待を犯すリスクは高い。小児性犯罪者の35%がペドフィリアと言うアメリカの調査(Seto, Cantor and Blanchard (2006))がある*10のだが、ドイツの匿名パネルデータのオンライン調査(Dombert and Schmidt et al. (2015))によるとペドフィリア的嗜好を持つ男性は0.1%に過ぎないので、ペドフィリアの相対危険度は538ぐらいになる*11。なお、ペドファイルの再犯率は特に高くない(Moulden et al. (2009))。
- 件数で見るとペドフィリアよりも近親者による児童性虐待が多いという指摘も見かけるが、だからと言ってペドフィリアが安全という話にはならず、また児童性虐待を行った近親者がペドフィリアでは無いとは限らない。実際、近親者へのチャイルドマレスターでphallometric testで陽性になる人々も、Blanchard, Klassen et al. (2001)のTable 2から計算すると34%ぐらいいる。
- 米国では「死んだほうがマシ」と罵られ、「やつらを吊るせ…やつらはよくならない」と憎悪をぶつけられたりと蔑視されており、また一部の州では犯罪歴の無いペドフィリアも監視しようとしている。ペドフィリアの多くは悩んでおり、自殺を考えることは極めて一般的であり、四分の一から三分の一は自殺を試みた経験がある(Levenson, Grady and Morin (2019))。
- 児童性虐待を行った人々は、その有害性や結果についての認識が十分ではなかった(Levenson, Grady and Morin (2019))。
- セラピストによる適切なカウンセリングによって、児童性虐待が予防できる可能性がある。ドイツでのDunkelfeld Projectと呼ばれる自発的治療プログラムでは、犯罪支持姿勢(offense supportive attitudes)、リスク関連行動、性的自己抑制の改善が観測された(Levenson, Grady and Morin (2019))。
- 女児型ラブドールが児童性虐待の予防にならないか考える人々がいる*12が、ペドフィリアがそれらで満足することを示す統計はおそらくない。児童ポルノが児童性虐待の発生を抑制させる可能性がある*13が、ペドフィリアの人々に作用しているのかは分からないし、実在児童ポルノだと被害者が出るので解決策にならない。
- ペドフィリアが児童性虐待を犯すリスクが高いことが認識されないと、犯罪予防策はとれない。逆にペドフィリアにメンタルケアが必要だと考える人々には、ペドフィリア蔑視がある。
精神医学用語はその定義に社会不適合であることが含まれていたりと非直感的な御都合主義なのでややこしいのだが、ペドフィリアの意味やセクシュアリティの範囲を勘違いしていた人々は多いはず。ペドフィリアと言う言葉の意味を正しく把握すると、ある程度の蔑視や差別は避けがたいことが分かる。見つけたら石を投げて晒し者にしろと言うのには反対できるであろうが、カウンセリングを薦めたり、衆人監視なく学童と接する職種に就くのを禁じることに反対はし難い。
*1王谷氏のアカウントが消えたので経緯を説明しているツイートしか参照できないが、それによるとLGBTQ+にペドフィリアが含まれないという主張が問題視されたようだ。
*2あわせて王谷晶氏の書いた帯を撤回要求は出版社に拒絶され、セクシュアリティにペドフィリアは含まれるのか論争が起き、騒ぎを知った原著者の1名が否定的なツイートを行ったりもしている。
*3Pedophilic Disorder - Psychiatric Disorders - MSD Manual Professional Edition
*4二次性徴後の10代前半が対象の場合はhebephilia,10代後半が対象の場合はephebophiliaと別の病名がついている。
*5通例、The Exclusive type of pedophile is attracted to children only. The Non-Exclusive is attracted to both children and adults.(拙訳:排他的なペドフィリアは児童のみに惹かれ、非排他的なペドフィリアは児童と成人に惹かれる)と説明される。
非排他的な場合でも、成人よりも児童に惹かれると言うのは、診断基準に明確に書いてあるわけではないが、成人の方を好むのであれば性的関心が主因で社会不適合になることはないし、学術論文で用いられているペドフィリアを判定する検査では問診に加え、成人と児童のどちらの肢体の方に身体がより強く反応するか計測したりもする。
ICD-11(疾病及び関連保健問題の国際統計分類11版)ではペドフィリア障害を、"Pedophilic disorder is characterized by a sustained, focused, and intense pattern of sexual arousal — as manifested by persistent sexual thoughts, fantasies, urges, or behaviors — involving pre-pubertal children(拙訳:ペドフィリア障害は、持続的な性的想像、夢想、衝動、もしくは行動により明らかになった、持続的で、集中的で、かつ二次性徴前の児童に関する性的興奮の非常に強い様式で特徴づけられる)"とfocused(集中的)を使って説明している。
ペドフィリアの判定にphallometric testを用いた場合の偽陽性と偽陰性の計測を試みた論文Blanchard and Klassen et al. (2001)には、
The term pedophilia denotes the erotic orientation of individuals (usually men) whose sexual interest in prepubescent children exceeds their sexual interest in physically mature adults (Freund, 1981).(拙訳:ペドフィリアと言う用語は、二次成長前の児童に対する性的関心が、身体的に成熟した成人への性的関心を超える個人(だいたい男性)のエロティックな指向を指す (Freund, 1981)。)
と明確に説明されている。なお、論文が古いという批判があったが、成人と児童の肢体のどちらに身体がより強く反応するかを見るphallometric testはこの考え方に沿っており、現在でも状況によっては診断に使われる。
昔は児童よりも成人を好む場合はopportunistic pedophiles(機会ペドフィリア)と呼んでいたが、これをペドフィリアに含めると児童性虐待者は全員ペドフィリアになるが、現在は児童性虐待者だからといってペドフィリアだとは考えない。
*6関連したアメリカ心理学会の声明では、以下のように説明されている。
In the case of pedophilic disorder, the notable detail is what wasn’t revised in the new manual. Although proposals were discussed throughout the DSM-5 development process, diagnostic criteria ultimately remained the same as in DSM-IV TR. Only the disorder name will be changed from pedophilia to pedophilic disorder to maintain consistency with the chapter’s other listings.(拙訳:ペドフィリア障害の場合、注目すべき点は新しいマニュアルで訂正されなかった部分である。DSM-5の作成プロセスを通して提案が議論されたのにも関わらず、究極的な診断基準はDSM-IV TRと同じものが残された。章の他の項目との一貫性を維持するために、疾患名がペドフィリアからペドフィリア障害に変更されるだけである。)
*7論文で言及は見かけるもののなぜか公式サイトに残っていない APA Statement on DSM-5 Text Error Oct. 31, 2013 Pedophilic disorder text error to be corrected に、
"Sexual orientation" is not a term used in the diagnostic criteria for pedophilic disorder and its use in the DSM-5 text discussion is an error and should read "sexual interest." In fact, APA considers pedophilic disorder a "paraphilia," not a "sexual orientation." This error will be corrected in the electronic version of DSM-5 and the next printing of the manual.(拙訳:「性的指向」は小児性愛障害の診断基準で用いられる単語ではなく、DSM-5テキストの議論での利用は誤りであり、「性的関心」と読まれるべきである。実際、APAは小児性愛障害は「パラフィリア」であり、「性的指向」ではないと考えている。この誤りはDSM-5の電子版と印刷版の次の刷においては訂正される。)
とある。
*8Pedophilia and DSM-5: The Importance of Clearly Defining the Nature of a Pedophilic Disorder | Journal of the American Academy of Psychiatry and the Law
*9APA statement regarding pedophilia and the DSM-5
The American Psychological Association maintains that pedophilia is a mental disorder; that sex between adults and children is always wrong; and that acting on pedophilic impulses is and should be a criminal act. The American Psychological Association has worked for many years to prevent child sexual abuse and will continue to do so.(拙訳:アメリカ心理学会は、ペドフィリアは精神障害であり、成人と子供の間のセックスは悪であり、ペドフィリア的衝動に従った行為は、犯罪行為かつ犯罪行為であるべきだと主張する。アメリカ心理学会は児童性虐待の防止のために何年間も働き、今後もそれを続ける。)
*10論文の主張自体ではなく、論文で使われているデータの要約から分かる。つまり、Figure 1.と、その説明
There was a significant difference between groups in the proportions who met this diagnostic criterion: 61% of child pornography offenders, 35% of offenders with child victims, 13% of offenders with adult victims, and 22% of general sexology patients, χ²(3, N = 685) = 86.77, p < .001. (拙訳:(phallometric testを用いたペドフィリア判定の)診断基準に達した比率は(犯罪類型と比較のための)グループごとに有意に異なる。児童ポルノ法違反の61%、児童性虐待の35%、成人相手の性暴力の13%、性的関心や性行動を理由に診療を受けている患者の22%。自由度3,観測数685のχ二乗検定の統計量は86.77であり、1%有意であった。)
を参照。
*11児童性虐待者ではなく性犯罪一般の相対リスクについて聞かれたのだが、2020年の米国の数字では、139,500件の性的暴行事件がおき、57,963件が小児性犯罪で、うち34%が12歳未満の被害者で、児童性虐待の35%、成人相手の性犯罪の10%以上がペドフィリアだとされているので、性差と再犯を考慮しないで計算すると相対リスク176になる。
他にも相対リスクが高い属性がいると言う指摘があるが、15歳以上による性的暴行の30歳未満の男性の相対リスクは4.8,中卒の相対リスクは81,高卒以下だと7.7,児童虐待死に対する実母の相対リスクは1.5程度に過ぎない。
パーソナリティ障害との交絡が何回か指摘されたが、パーソナリティ障害者が収監される相対リスクは15といった程度である。ペドフィリアの60%がパーソナリティ障害(Raymond et al. (1999))だとして、ペドフィリアとパーソナリティ障害の効果が相乗する場合と加算する場合を仮定して、それぞれパーソナリティ障害の影響を取り除くとペドフィリアの相対リスクは57と529になり、どちらにしろ十分に大きい。なお、上の他の要因の相対リスクは、パーソナリティ障害との交絡の影響が残っていることに注意しよう。
さらに、これらの数字は過小推定の蓋然性が高い。ペドフィリアのパーソナリティ障害者のパーソナリティ障害による児童性虐待リスクへの影響は、他の要因のものよりは小さくなる結果も報告されている。Ferretti et al. (2021)のFig.4を、表にある窃盗泥棒、傷害殺人犯ではない囚人が児童性虐待者になることに注意して見ると、児童性虐待に対するパーソナリティ傷害の囚人の中での限界効果を計算できる。この計算ではパーソナリティ障害者の囚人が児童性虐待者である確率は高くなるが、ペドフィリアでパーソナリティ障害の場合は精神的併存疾患(psychiatric comorbidity)になり、精神的併存疾患の囚人はパーソナリティ障害者であっても窃盗泥棒と傷害殺人犯の可能性が高くなる。また、ペドフィリアの76%(生涯でみると93%)が精神的併存疾患であり、パーソナリティ障害者ではない精神的併存疾患者もいる。
*12Can Child Sex Dolls Keep Pedophiles from Offending? - The Atlantic
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