2013年10月25日金曜日

あるマルクス経済学者のプロパガンダ(1)

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マルクス経済学者の松尾匡氏が『「小さな政府」という誤解』と言う連載を開始している。しかし、平易な文章に見えるのだが、松尾氏は作為的に議論を混乱させているようだ。

学者の文章らしくなく用語や論点を明確にしないで、読者の感覚に訴える側面がある。どうも経済学ではなくて政治プロパガンダの一貫のようなので、気付いたところにつっ込んで生きたい。

1. 政府の大小を説明していない

「小さな政府」と「大きな政府」を明確に説明していない。経済に対する政府支出の規模で測るのか、国営企業など統制的な部分の大きさで測るのか、財政赤字の水準で測るのかが不明瞭になっている。

福祉国家や地方自治体が赤字拡大して行き詰ったという指摘がある部分は、ここでは財政赤字の水準で測っているように思える。ソ連や東欧が行き詰ったという指摘がある部分は、国営企業など統制経済の部分の大きさで測っているように思える。

政府支出の規模が大きくても均衡財政をとることもできるし、高福祉国家でも国営企業が多いとは限らない。財政赤字を擁護するために福祉政策を必要性を訴えたりする気ではないかと思うが、幼稚なレトリックになっている。

2. 英米と日本の話を摩り替える

1970年代に英米で財政赤字の拡大とインフレーションの進行が経済成長と失業率低下に結びつかなかったと言う議論で、なぜか日本の話に摩り替えている。

不況だからというわけで、景気を好くしようとして、「それならケインズ政策だ」と言って政府支出をバンバンやってたら、一向に景気はよくならないのに、インフレばかりひどくなってしまった……というわけで、ケインズ経済学の人気は落っこちてしまいました。

まあ、とは言っても、いまから振り返って当時の日本経済のデータを眺めてみたら、これのどこが「不況」だ! って気になりますけどね。実質成長率で4%とか5%とかが普通、完全失業率は2%前後ですよ。いまは、完全失業率が5%台から4%台になったって言って喜んでいる。いま当時みたいな経済状態になったら、みんなハッピーでハッピーでたまりませんよね。いったい何が不満だったんだか。「南京大虐殺はなかった」とか言う人がいるくらいですから、「スタグフレーションはなかった」とか言いたくなる。こっちの方がよっぽど信憑性があります。

イギリスや米国のデータを見ないと意味が無いわけだが、なぜか日本について言及している。日本のスタグフレーションはオイル・ショックの影響を強く受けていて、財政赤字が誘因だったわけではない。

3. 成長論の知見が無視されている

さらっと経済学の成長論の知見を無視した事を、いかにも当然と言う風に書いている。

賃金をケチって従業員の安全コストやなんかを削れば削るほど、利潤がもうかって事業を拡大できます。社会全体で見れば、労働者たちの手にする消費財を作るための人手の配分を減らせば、機械や工場の拡大分を生産するために、たくさんの人手をかけることができます。その配分の仕方がスムーズにちょうどいいものになる保証はなにもありません。

ごく普通の経済学では、資本蓄積が進むにつれ限界生産性は低下していくので、投資と消費の配分の仕方が最適になる。1人のトラック運転手に2台のトラックを与えても、その運搬量は2倍にならない事などから、これは直感的に理解できる前提だと思う。古典的なケインズ型成長モデルのハロッド・ドーマー・モデルなどではこの前提は課しておらず、非常に不安定な経済が議論されているが、全く現代的ではない。ゆえに一般的な文脈*1では経済は安定的であると考えるし、そうでないなら議論が必要だ。

なお、この部分が書かれた『国家介入時代の「資本vs労働」の政策対立』の節は、資本側と労働側で政治的対立があることを議論しているので、資本主義経済の不安定性が当然のように書く必要は無いと思うのだが、それでも資本主義を批判したくなるのがマルクス主義者なのであろう。

追記(2013/10/25 18:53):批判が不明瞭なので追記すると、例えばRamsey Modelのインプリケーションと一致しない。Ramsey Modelでは、労働と資本の限界生産性に賃金率と利子率が一致する競争的市場を前提に、消費を最大化する定常状態が自律的に達成され、消費財と資本財の“配分の仕方がスムーズにちょうどいいものになる保証”がされている。

*1完全競争、完全情報、完備契約、外部経済無し、取引摩擦無しなどの仮定が入るので、これらが成立していないと言う議論は可能だと思われる。

11 コメント:

松尾匡 さんのコメント...

1番は、シィーーーっ! ネタばれになる(笑)。

2番は、「英米」って話は書いていませんよ。「財政赤字の拡大と…」ということも書いていません。

3番ですが、この話は、主流派成長論と違う点は、完全雇用を前提していないというだけで、あとは主流派成長論のどんな前提とも両立する話のつもりです。
限界生産力原理を肯定するか否定するかといった論点とは無関係です。

直接自分の頭の中にあるモデルでは、経済主体によって貯蓄性向が違うことを想定(利潤からの貯蓄率は、賃金からの貯蓄率よりも大)していますが、それは議論がクリアになるだけで、均質な経済主体の同一の貯蓄率を想定しても全く同じ話が言えます。

動学的最適化で貯蓄を導いて、貯蓄率を利子率と時間選好の関数にしても、利子率と利潤率が一致する長期を考えたり、両者がだいたい同じ方向に動くとみた場合には、結局この議論を強化するだけですので、話の簡単化のために、学部レベルの標準成長論のとおり、一定の貯蓄率で話をさせて下さい。

最適な技術選択がなされて、実質賃金率(技術進歩を考慮した場合は「労働効率あたり実質賃金率」以下同じ)と労働の限界生産力が等しく決まる場合、実質賃金率が高いほど、資本あたりの労働投入が少ないので、資本あたりの産出は低くなります。財市場が需給一致すると、資本あたりの産出に貯蓄率をかけたものと、資本の成長率が等しくなるので、結局、実質賃金率と成長率は減少関数の関係として、右下がりのフロンティア曲線としてかけることになります。

拙文の背後にあるように、消費財と投資財に二部門分割したモデルでは、成長率が高い時は、実質賃金率が低く、投資財部門の資源配分割合が高く、成長率が低い時は、実質賃金率が高く、消費財部門の資源配分割合が高いことになります。

さて拙文中「ちょうどいいもの」と表現されている状態がイメージしているのは、この成長率が労働人口成長率と一致する完全雇用の持続状態のことです。この場合、このフロンティア上の一点から、実質賃金率が決まります。二部門分割した場合には、それと整合する部門間比率が決まります。

しかし、完全雇用を前提しない場合には、景気がいいときには、資本成長率が高いので、実質賃金率が低く、資本財の部門比率が高く、景気が悪い時には、資本成長率が低いので、実質賃金率が高く、消費財の部門比率が高いという具合になります。
この場合、景気のいいときと悪いときをならしてみた、長期平均的な実質賃金率や部門間比率が、完全雇用持続時の実質賃金率や部門間比率と等しくなる保証はないというのが拙文の論旨となります。

拙文では、この長期平均的な状態が、長期的な労資の対抗関係で決まるものと考え、この対抗関係がバランスを欠くと、完全雇用持続と整合的な望ましい状態からズレるということを言っているわけです。
直接イメージしているのは、「転換」以後は、労働者側の力が弱いために、長期平均的な部門間比率が、完全雇用持続の部門間比率よりも、消費財の部門間比が低くなってしまっているということです。貯蓄率が動学的最適化で決まる想定をすれば、これは、過少消費ということです。

成長が完全雇用経路に自動収束するかどうかという問題は、技術が固定的か代替的かという問題とは無関係であることは、置塩が強調してきたことでしたが、今日ではよく知られていることで、ソロー自身そう言っています。岩波の『成長理論』の序文に書いてあります。

手短にコメントしようと専門用語ばかりになり、読者のみなさんにはすみませんでした。

uncorrelated さんのコメント...

>>松尾匡 さん
おいでやすと言うか、早々に気付かれましたね。

> 1番は、シィーーーっ! ネタばれになる(笑)。

ああ、案の定。今後の展開を期待しています。

> 2番は、「英米」って話は書いていませんよ。「財政赤字の拡大と…」ということも書いていません。

70年代に「政府支出をバンバンやってたら・・・インフレばかりひどくなった」のは英米の話で、日本には当てはまらないと言う指摘です。

> 3番ですが、この話は・・・あとは主流派成長論のどんな前提とも両立する話のつもりです。

Ramsey Modelや標準的RBCとは両立しませんよね?

> 景気のいいときと悪いときをならしてみた、長期平均的な実質賃金率や部門間比率が、完全雇用持続時の実質賃金率や部門間比率と等しくなる保証はないというのが拙文の論旨となります。

Ramsey Modelや標準的RBCでは消費財と資本財の生産比は、通期での消費を最大化すると言う意味で常に最適になります。またRBCでは失業率(正確には労働投入量)も定常状態に収束します。

無論、この定常状態に到達するための条件には、資本市場と労働市場における完全競争が求められるわけですが、拝読する限りはこの前提を批判しているようには読めませんでした。

> 成長が完全雇用経路に自動収束するかどうかという問題は、技術が固定的か代替的かという問題とは無関係である

生産関数F(K, L)を置いて資本Kで二階微分したものが正であったら、定常状態にいかずに発散しかねませんよ。

松尾匡 さんのコメント...

Ramsey Modelや標準的RBCは、各時点で完全雇用が最初から前提されていて、完全雇用に至るプロセスが検討されているわけではありません。
最初から完全雇用を前提して、例えばソローモデルを立てたら、たとえ限界生産力が逓増して、軌道が発散しても、その軌道自体は、常に毎時点、財の需給一致と完全雇用を守り続けるので、それ自体は市場不均衡の問題とは関係ないのです。
ソローモデルの軌道は、多部門にしていくと、安定条件が極めて厳しくなっていきます。これは、価格運動や技術代替のスムーズさとは関係なくて、市場均衡は毎時点完璧に守りながら、軌道は一般に発散することになります。だから、この意味での軌道の安定性を議論すること自体、経済が安定か不安定かという問題とは関係ないのです。

価格調整が完璧(だから完全競争)で、限界生産力逓減の技術代替があるモデルでも、完全雇用が前提されず、完全雇用とは無関係に軌道が上下に発散するモデルを作ることはできます。
例えば非常に単純なもので、大昔『セイ法則体系』という本で、そのことを示すだけの目的で作ったモデルは、一次同次生産関数で、実質賃金率と労働の限界生産性が毎期等しく、前期の実質賃金率にあわせた最適技術のもとで、今期の生産を行うように、次期の資本量を決めるというものでしたが、成長率は単調に発散します。

拙文の背後で想定しているモデルと、標準的主流派モデルとの想定の違いは、直接には完全雇用を最初から前提しているかどうかということですが、掘り下げて言えば、投資関数についての想定の違いです。
これはもっと掘り下げれば、貨幣需要なり期待形成なりの想定の違いに帰着させることはできるのですが、この文では、そこまでめんどくさいことをちゃんと想定した上で言っているわけではありません。

ところで、70年代の日本は、数字を見ても政府支出は増えてインフレ率は高いし、前者が後者のが原因かどうかはともかく、当時はそれを理由に政府批判が盛んだったし、「スタグフレーションだ」とか言って騒いでいたのも間違いないと思います。

uncorrelated さんのコメント...

>>松尾匡 さん
> Ramsey Modelや標準的RBCは、各時点で完全雇用が最初から前提されていて、完全雇用に至るプロセスが検討されているわけではありません。

最近の経済学の文脈で“完全雇用”を使っていいのかもありますが、標準的RBCは少なくとも労働投入量は変数としてありますよね?

またRamsey Modelも労働市場の完全競争を置くことにより、賃金が労働の限界生産物と一致することで、労働者が使用つくされることになっていますから、“完全雇用”に至るプロセスは検討および議論されています。

ところで、元のエッセイでは「労働者たちの手にする消費財を作るための人手の配分を減らせば、機械や工場の拡大分を生産するために、たくさんの人手をかけることができます」とあるので、ここは雇用ではなく、消費と投資のバランスの話のはずです。

> ソローモデルの軌道は、多部門にしていくと、安定条件が極めて厳しくなっていきます。

ソロー・モデルは貯蓄率が内生化されていないので、松尾さんのエッセイに書かれた問題意識(≒消費財と投資財の最適配分)とは乖離しているモデルになっているわけですが、ミクロの一般均衡理論から考えるとモデルの組み方に問題がありそうですね。

> 最初から完全雇用を前提して、例えばソローモデルを立てたら、たとえ限界生産力が逓増して、軌道が発散しても、その軌道自体は、常に毎時点、財の需給一致と完全雇用を守り続けるので、それ自体は市場不均衡の問題とは関係ないのです。

資本の限界生産性が低下するからこそ資本蓄積に応じて労働への需要が強くなり、賃金が増すのですから、この仮定は大事です。

ハロッド・ドーマー・モデルと言うのがありまして、資本の限界生産性が一定だと仮定することで雇用水準を含めて経済が不安定になると言うのがあります。

これに対してソロー・モデルで資本の限界生産物が逓減すると言う仮定が導入されて、安定的な経済が導き出されました。

こういう成長論の基本的な展開を考えれば、“完全雇用”が仮定されているのではなくて、“完全雇用”になるように他の前提条件が整備されている事を認識できると思います。

> 価格調整が完璧(だから完全競争)で、限界生産力逓減の技術代替があるモデルでも、完全雇用が前提されず、完全雇用とは無関係に軌道が上下に発散するモデルを作ることはできます。

ハッタリ言っていませんか?
一般の成長論のモデルにかなり強力な仮定を加える必要があるはずで、その前提を明らかにされる必要があるでしょう。

> 70年代の日本は、数字を見ても政府支出は増えてインフレ率は高いし・・・「スタグフレーションだ」とか言って騒いでいたのも間違いないと思います。

財政赤字起因のスタグフレーションはディマンド・プル型になると思いますが、日本の場合はオイルショックで物価が上昇したコスト・プッシュ型で状況はかなり違いますし、少なくともルーカス批判の文脈ではないですね。

松尾匡 さんのコメント...

いやそのハロッド・ドーマーモデルとソローモデルとの振る舞いの違いが、最初は、限界生産力逓減の生産関数を仮定しているかどうか(あるいは、その背後の要素価格の伸縮性を仮定しているかどうか)の違いと思われていたのが、実はそうではなかったということが認識されていった歴史があるのです。
先述したとおり、ソロー自身がそのことを認めています。今自宅にいて手元にないのですけど。

ちなみにラムゼイモデルそのものは、社会計画者の最適化モデルで、市場というもの自体がもともと想定されていないです。
もちろん、後に分権的モデルで、市場の動学的一般均衡を想定したものと同値になることが証明されているのですけど。
それでも、モデルの最初から労働市場の均衡が毎時点終始前提されている構造になっていることは変わらないです。労働雇用が実質賃金率と限界生産力が等しくなるように決まるもとで、それが一定率で増える労働供給と等しいという前提をおくことで、内生的に実質賃金率の流列が出てくるのです。

それからRBCは、家計の余暇と労働の選択から労働供給が内生化されていて、それが常に完全雇用されるように諸変数が決まる仕組みになっていてます。動いているのは労働供給そのもので、失業の変動が表されているのではありません。

繰り返しになりますが、完全雇用均衡が実現できるかどうかということと、価格・賃金の伸縮性や生産関数の形状のいかんは関係なくて、もともとケインズが強調していたのも、価格や賃金が伸縮的でも(なおさら)不完全雇用均衡が存在するということです。
その想定する世界では、価格がスムーズに動くことで、財市場を均衡させる実質賃金率が決まり、それと労働の限界生産力が等しくなるように労働需要が決まるが、それがその実質賃金率のもとでの労働供給と一致する保証は無い。ということです。労働供給より少なければ貨幣賃金率が下がりますが、すると、財市場の均衡を維持するように、同じ率で物価が下がり、実質賃金率が維持されるというのが、最も荒削りの想定になります。
価格のスムーズな変動や限界生産力原理は前提されているわけです。

投資財と消費財の配分についての、拙文の論旨をもう一度ご説明すれば、完全雇用成長(ラムゼイ成長を想定していいです)のもとでは、それと整合する投資財と消費財の均衡的な配分がある。しかし、完全雇用が保証されていなければ、投資財と消費財の配分がそれと一致する保証はないということです。

uncorrelated さんのコメント...

>>松尾匡 さん
> そのハロッド・ドーマーモデルとソローモデルとの振る舞いの違いが・・・実はそうではなかったということが認識されていった歴史があるのです。

ソロー・モデルは消費と投資の配分を内生化していないので、そもそもの議論から外れているのでこれ以上の議論は避けますが、PHP研究所より書籍化されるときは、つっ込んだ形で議論されることを希望します。

> ちなみにラムゼイモデルそのものは・・・後に分権的モデルで、市場の動学的一般均衡を想定したものと同値になることが証明されているのですけど。

つまりラムゼー・モデルで、消費を最大化する定常状態が自律的に達成され、消費財と資本財の配分が最適になることは認識されているのですね。これは「配分の仕方がスムーズにちょうどいいものになる」とは言えませんか?

> それでも、モデルの最初から労働市場の均衡が毎時点終始前提されている構造になっていることは変わらないです。労働雇用が実質賃金率と限界生産力が等しくなるように決まるもとで、それが一定率で増える労働供給と等しいという前提をおくことで、内生的に実質賃金率の流列が出てくるのです。

価格(賃金と金利)が伸縮的で競争的な市場で定まると言う仮定を置くことで、労働市場の均衡が達成されると言う事は理解されているのですね。これが現実的かはさておき、「完全雇用に至るプロセス」が考察されているとは言えませんか?

> RBCは、家計の余暇と労働の選択から労働供給が内生化されていて、それが常に完全雇用されるように諸変数が決まる仕組みになっていてます。動いているのは労働供給そのもので、失業の変動が表されているのではありません。

それは失業をどう定義するか、モデル内の労働供給量をどう位置づけるかで解釈が変わりますが、就業者希望数の変動と解釈しても、Ramsey Modelと同様に価格が伸縮的で競争的な市場が完全雇用を保証しているとも言えますよね?

(ケインズの失業の議論は、現代的な動学マクロの系列から離れるのと、続きのエッセイでも触れられるかなと思うので飛ばします)

> 完全雇用が保証されていなければ、投資財と消費財の配分がそれと一致する保証はないということです。

価格硬直性などの何らかの作用があれば、労働市場がクリアされないこともあるでしょうし、最適な投資・消費水準が維持されないというのは分からなくもないのですが、このブログのエントリーの3節で引用した部分の前後では、“完全雇用”についての議論は無いですよね?

「その(=消費と投資)配分の仕方がスムーズにちょうどいいものになる保証はなにもありません」と天下り的に書かれているわけですが、Ramsey Modelならば最適成長径路を自発的に取れることが分かっているので、それを崩すような議論が前後になければ強く違和感があるのです。

松尾匡 さんのコメント...

すみません。訂正です。
話の簡単化のためとは言え。「貯蓄率一定」の仮定はまずかったです。S/Y一定なら、I/Y一定に決まっているので、投資財部門と消費財部門の部門間比の変化を議論することはできなくなります。
ちょっと考えればわかることなのに、お恥ずかしい!!
やはり、利潤貯蓄率と賃金貯蓄率が違うと想定するか、動学的最適化から貯蓄率を内生化しないといけないです。
結論は変わりませんけど。

松尾匡 さんのコメント...

おはようございます。
主流派モデルの定常値への収束という動学的振る舞いの安定性と、市場調整過程の安定性とは別の問題だということを書き込んでいるのですが、まあ、元の拙文の説明にとってはマイナーな論点ですのでいいですけど。

ともかく、価格・賃金の硬直性や技術の硬直性を仮定するかどうかは、市場不均衡モデルの本質と関係ないということは私が長年強調し続けてきたことで、拙文の背後に、価格・賃金の硬直性や技術の硬直性は前提されていないということをご理解下さい。

詳しくは、後に、新しい古典派の手法を丸呑みして、デフレ不況の存在を説明するモデルが登場することを取り上げる回で説明します。日常用語でどこまでご納得いただけるかわかりませんけど。

uncorrelated さんのコメント...

>>松尾匡 さん

まいどです。

> 主流派モデルの定常値への収束という動学的振る舞いの安定性と、市場調整過程の安定性とは別の問題だということを書き込んでいるのですが

すると主流派モデルから乖離しているのは確かという事ですよね?
マルクス経済学者の間では阿吽の呼吸で通じるのかも知れませんが、それ以外の経済学徒からすると、補足なり注釈なりが欲しいところです。

> 詳しくは、後に、新しい古典派の手法を丸呑みして、デフレ不況の存在を説明するモデルが登場することを取り上げる回で説明します。

稲田条件が市場の安定性に関係ない、労働市場が完全競争(かつ完備?)であっても失業率が存在しうるなどは、一般の経済学の文脈とは乖離した世界になっているので、詳しい説明を期待したいところです。

コメント欄ですが・・・

> オイルショック前の列島改造の頃からインフレは昂進していましたし、その後も、ケインズ政策のせいでインフレがひどくなったと、人々から思われたことが、ここでの論点にとっては重要なことです。

1971年~1973年のインフレ率(CPI)が6.6%、4.7%、11.5%で、実質GDP成長率が4.4%、8.4%、8.0%なので、オイルショック前の1971年と1972年が需要要因のスタグフレーションだったと主張するには、もう少し慎重な議論が必要だと思います。赤字国債の発行が本格化したのも1975年以降ですしね。

ではエッセイの続きをお待ちしています。

松尾匡 さんのコメント...

議論おつきあいいただきましてありがとうございました。この件について、エッセーに書き、解説論文を作りました。ご検討いただきましたら幸いです。
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__131105.html

uncorrelated さんのコメント...

>>松尾匡 さん
日記を拝読しました。ご丁寧にディフェンス(?)ありがとうございます。

当時、スタグフレーションが生じていたと思われていたと言う話は、昔の通説に通じているわけではないので真偽は分かりませんが、了解です。

競争均衡と定常状態の関係と資本の限界生産性が逓減する条件の必要性については、疑問が残るので図付でエントリーを書きました。

http://www.anlyznews.com/2013/11/blog-post_6.html

なお、図の細部などに疑義があったので1日、寝かしております。

お気づきの通り(1)とつけたのは、(2)も書くつもりだからです。一般向けの文章で細かくつっ込むのは野暮と言う話もありますが、続きをお待ちしております(笑)

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