𝕏/Twitterでは分散バージョン管理システム(DVCS)Gitが難しいと言ったり、Gitの利用を避けている人々を、ITスクール講師とIT技術動画配信者が「いまどきGitを使えないなんて…」と煽る光景を見かけることがある。
GitはLinuxのバージョン管理のためにLinus Torvalds御大に開発されたツールで、今ではオープンソース製品のコード管理の他、ウェブから機械学習あたりのシステム開発でも広く使われている。他にも色々とある*1が、現状でVCSの第一選択肢だ*2。
インターネット上で話題になっている事件を、理論とデータをもとに社会科学的に分析。
「文部科学省は大学の文系学部でデータサイエンスや人工知能(AI)の必修化を促進する」と言う話が報じられていた。今から5年以上前、2019年3月27日に、「文系や理系を問わず全大学生がAIの初級教育を受けるよう大学に要請」という報道があったが、今回はモデルケースとなるカリキュラムの開発が具体的な施策として入った。
将棋の女流棋士がタイトル戦のひとつで順位戦と連動している白玲戦で5期タイトルをとったら棋士になれる制度に関して、「ガラスの天井」と言う言い回しの誤用が多く観察された。
ガラスの天井は役員への昇進など、その条件が不明瞭なときに使うもので、将棋のプロ棋士編入試験のように合格条件と、それを満たしているか否かの判定が明確な場合は、使えない。目に見える壁で、透明とは言えないからだ。
高名な情報量規準主義者の主観ベイズ統計学への誤解を受けてか、統計学を専門としない数学者が、ベイズ意思決定理論における小さな世界(small world)と言う特徴を3年間ぐらい繰り返し批判している*1。しかし、ベイズ以外のあらゆる数理的分析においても小さな世界を分析することになるので、殊更、ベイズ統計学の欠陥のように取り上げるのはミスリーディングだ。
石破総理が戦没者追悼の式辞で反省という言葉を使ったことで「保守」界隈が怒っているのだが、どうも国語的に問題がある。反省は、罪を認めて償うというよりは、過去の過ちから学ぶという意味に近い。日本保守党の百田尚樹代表が「今を生きる日本人がその罪を背負う必要はありません」と非難していたのだが、過去に学ぶと言う事は、罪を背負うと言うことではない。
熟練プログラマが生成AI(LLM)を使うと生産性が低下するという論文(Becker, Rush et al. (2025))が、やはりそうか感をもって受け止められていた。
生成AIは最強のコピペ厨なのだが、コピペ厨の域を未だに脱却できていないので、意外ではない。実際のところ推論などはしていない(Shojaee et al. (2025),Malek et al. (2025))。現状の生成AIはハルシネーションがあるデータの引き出し方が特殊な巨大データベースに過ぎない。
大学入試の女子枠批判者として知られるNENENENE@研究こと國武悠人氏が、「貧困・地方・両親非大卒は(実際には奨学金が充実していたとしても)同境遇者の少なさによって"安全な"大学に出願する傾向が数々の研究で指摘されています」と主張しているのだが、日本ではそんなことは無いので指摘したい。