炎上時に焦って弁解をすると、おかしい言説を重ねてしまうときがある。先週の社会学者・千田有紀氏の炎上記事の追記を見たところ、社会学の会話分析の研究を示唆しつつ『(相槌)は、従来「女性」に与えられてきた役割』と主張しているのだが、一般に観察される現象からも、(よく知らないのでこちらは誤解な気もするが)社会学の会話分析の知見からも、何かおかしい事になっている。しかも、会話分析と言う専門性の高い分析結果に言及しているのに、参照した文献すら挙げられていない。
1. 男性インタビューアも相槌を打つ
千田有紀氏の主張を読んで、男性でも相槌を打つと思った人は多いと思う。男性インタビューアも相槌を打つ。アナウンサーは視聴者が聞きづらいので相槌をそんなに打たないようにしているらしいが、それでも多少はしている。昨年のNHKのノーベル賞の紹介サイトでは、中学生男子の子役タレント鈴木福くんが日本科学未来館の科学コミュニケーターの石田茉利奈氏にインタビューをして記事が掲載されていたが、ほぼ相槌だけを打っていた。千田氏はキズナアイの『相槌の数は「聞き手」であることを考慮したとしても、明らかに多い』とも書いてあるのだが、何とも比較せずに主張しているようだ。
2. 性別ではなく社会的地位が、会話での振る舞いを決定する
社会学方面で女性の相槌は、性別によって社会から期待されたり、みずから表現する役割や行動様式(ジェンダーロール)と言う定説があって、それを踏襲しているのかなとも思い検索してみたのだが、どうもそうでは無いようだ。
「会話のマネージメントにおける性差」と言うそのものズバリな題名の紀要論文では、男女で会話をさせると、男性が女性の発言を遮って話はじめる傾向があり、女性の方が質問をして男性に喋らせる傾向があることが指摘されており、結果、男性の方がよく喋ると言うことは類推される。ここまでは千田氏の議論に沿う。しかし、会話における男女の振る舞いの違いはジェンダーロールとして定まっているとは書いておらず、男性と女性の間の社会的地位の差を表しているとしている。なぜならば、法廷での女言葉の利用頻度、つまり振る舞いは、話し手の性別ではなく社会的地位と法廷での経験に依存するからだ。
この会話分析のサーベイ論文を読む限りでは、社会学の会話分析の文脈においても、男性と女性の社会的地位が原因なのであって、会話における男女の役割自体は他に影響を及ぼしそうにない。しかし、千田有紀氏は、
「相槌」がなぜダメなのかと思うかもしれないが、社会学では「権力」は相互作用の場面からもつくられていくと考えられている。コミュニケーションの場において、どのような言葉が交わされ、どのように会話が達成されるのか。コミュニケーションは当然、社会システムのなかで行われ、そしてまたその社会システムを再生産するのだ。
と、会話における男女の役割が、男性と女性の間の社会的地位の差を形成すると主張している。
社会学の会話分析の研究結果が主張する因果関係を、千田有紀氏は逆に捉えてしまっているのではないであろうか。ジェンダー論、例えばジュディス・バトラーの議論を発展させた、人々の振る舞いが、人々の性的役割だけではなく、人々の社会的地位を決定するような議論を暗黙のうちに導入しているのかも知れない。
3. そもそも会話分析を使った研究自体の信憑性が低い
なお、会話分析の従来研究の知見は、男女が役割を指定されない状態で会話分析を行なったときの話であり、専門家に素人がインタビューを行なうような場面に援用できるものではなさそうであるし、そもそも会話分析の従来研究はよく社会的地位をコントロールした十分な人数の観察で行なえているのかが怪しく、信憑性に劣るところがある。心理学方面で再現性クライシスが問題になっているが、社会学の会話分析は統計的仮説検定をしているのかもちょっと怪しい感じがある。ウォーフが出てくるし。
4. 学者ならば参考文献を挙げるべし
さらっと検索した文献が千田有紀氏の主張をサポートしないだけなので、もしかしたら有力な研究が千田説の裏にあるのかも知れない。しかし、ブログのエントリーで手を抜いているところもあると思うが、千田有紀氏の議論は何の文献から氏が主張を思いついたのかトレースできない。
会話分析のところ以外でも、『人間の「魅力」や「ルックス」も「能力」のひとつとして重視されるようになってきており、とくに若い女性に対しても「性的に魅力的であれ」という圧力は強まっている』と言う記述は、近年ますます地味な格好で就活をしている女子大生が性的魅力をアピールしているとは言え無いし、容姿端麗な女性が採用されやすいのは昔からかも知れ無いので自明ではないが、特に根拠となる文献は挙げられていない。
もう少し批判的に読まれることを念頭において、文章を書く訓練をして頂きたい。
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