ネット界隈で「低賃金カルテル」なる言葉を見かけるようになって久しい。運動家の藤原興氏によるとついったーらんどで出来た造語だそうで、氏はその存在を確信をもって主張している。この藤原興流の低賃金カルテル説が、どの程度強固な主張なのかを考察してみた。結果、学者の説ではないので脇が甘いのは仕方が無いが、経験的にも理論的にも説得力は低いように思える。
1. 低賃金カルテルとは?
まずはネットスラングなので、用語定義を整理しておこう。藤原興氏の主張からすると、低賃金カルテルは、雇用主が一部*1の職種に関して利潤最大化のためではない社会規範にそった賃金設定を行なうことを指している*2。付随して、藤原興氏は、低賃金カルテルによって労働市場の需給が均衡していないことも主張しているが、こちらは「低賃金カルテル」説としよう。
雇用主側の明確な共謀や協定がないからカルテルではないと言う批判もあるが、世間(空気)よりも少し強い表現でソーシャル・ノルムがあると考えれば、暗黙の協定があると見なしても良いであろう。むしろ、経済合理性ではなく社会規範によって経営者が賃金オファーを決定することを強調する目的だと考えれば、カルテルと言う表現が不適切だとは言い切れない。
2. 低賃金カルテルは観察されているのか?
藤原興氏は幾つかの指標と事例によって低賃金カルテルの存在が自明かのように主張しているが、ここは心もとない。低賃金カルテルは普遍的に観察されるとも言えないし、その存在と整合的な統計は教科書的な経済学でも説明できてしまうからだ。藤原興氏が低賃金カルテルの存在と整合的な事象を三つ挙げていたので、実際に検討してみよう。
- 1. 最低賃金のパートタイム労働市場への影響
- 労働政策研究・研修機構の地域別最低賃金近傍の賃金の分布の東京のパートタイマー労働市場のところを見てみよう。賃金中央値は2008年~2014年で微増である一方、約18%ポイントの最低賃金の引き上げが行なわれた*3。これにより賃金分布が大きく歪む事になったが、雇用情勢は大差ない。最低賃金の引き上げで影響を受けた企業も雇用を減らしてはおらず、それらの企業には独占/寡占力があったと考えられる。これは低賃金カルテルの存在と整合的ではあるが、雇用主が独占/寡占市場で利潤追求している場合でも同じ結果になる。
- 2. 人手不足倒産/廃業の存在
- 藤原興氏は「賃金あげるくらいなら、倒産を選ぶ。それが日本の経営の常識であり、強固な低賃金カルテルがある証拠」と主張しているが、売上増が見込めず人件費増を賄えないという判断*4、もしくは、今は人手不足でも数年後は違うと未来予測による廃業であれば、経済合理性で説明ができるし、低賃金カルテルによって賃金決定を行なう企業は労働市場にいられなくなることから、低賃金カルテルが維持できない証拠にもなる。
- 3. 自動車整備士の状況
- その不足を背景にディーラーなど大手企業では賃金水準が上昇している*5。中小零細企業では賃金は横ばいだが、自動車整備士の職場は中小零細の工場がたくさんあって、そこではEV化など国内自動車市場の動向によっては廃業を睨んでおり*6、従業員の待遇改善ができない特殊事情がありそうだ。
もっとも有力な議論は最低賃金のパートタイム労働市場への影響で、普通の経済学で説明するにはパートタイム労働市場の中でも低賃金のところが買い手独占/寡占市場であることを示す必要がある。しかし、短時間働きたい人々は、職場へのコミットメントが低く労働組合を結成しないから団体交渉力を持たない、自宅付近の職場を探すので雇用主間の競合は意外に少ないと理由が想像つかないわけでもなく、やはり決め手にかける面がある。
3. 低賃金カルテルが理論的に弱いところ
社会規範(≒世間(空気))がどのように形成されたのか説明できていない。経済学だと社会規範が個々が利益追求した結果のナッシュ均衡である事を説明したりもするのだが、こういう議論で社会規範を説明すると単に経営者が持っている信念が古臭いだけで、そのうちアップデートされて終わる話になってしまうであろう。
労働者の気持ちが考えられていない。ある雇用主が「この仕事にはこの賃金が社会規範にあっている」と考えて低賃金で募集をしたとして、別の雇用主がもっと高い賃金で募集をかけた場合、労働者が低賃金の方に応募すべき理由はほとんど無い。労働者側も「この仕事に高い賃金を設定する雇用主はキチガイだ」と言う認識があれば、高賃金で募集をする雇用主が労働市場から駆逐されるわけだが、労働者がそのような判断をしているような話を聞いた事は少ない。
4. まとめ
藤原興流の低賃金カルテル説を検討してみたのだが、全般的に弱い論に思える。日本には生活給思想と言うのもあって、需給がクリアされる賃金であれば無問題とは考えない人々は昔からいるので完全に頓珍漢とも言えないとは思うが、今のところは低賃金カルテルの存在を信じるわけにはいかない。
*1『経済学では「人手不足なら賃金あがる」という大嘘がまかり通る』「日本で経済学の常識なんか通用するかよ」と主張しているので、藤原興氏は一部ではなく全ての職種で、経済合理性ではなく社会規範にそった賃金設定が行なわれると主張している気もするが、建設業の人手不足による賃金高騰はよく報道されており、この一例で低賃金カルテル説が終わってしまうので、一部と解釈をする。
*2田舎にいったら小遣いやお年玉に関するローカル規制があると言う話があるのだが、同じようなノリで、地元の名士と言うか地元企業/経営者/農家のおっちゃん同士が酒席で何か談合して賃金相場を決めるような話かと当初は思っていたのだが、氏のツイートを読むと違う議論になっていた。
*3「地域別最低賃金は、(1)労働者の生計費、(2)労働者の賃金、(3)通常の事業の賃金支払能力を総合的に勘案して定めるもの」なので、平均賃金の上昇の後追いになるはずなので、この上昇率の乖離は奇妙に思えるかも知れないが、中央最低賃金審議会は一般労働者の平均賃金も参照しており、最低賃金フルタイムで生活保護費を下回ることを問題視していたためである。中央最低賃金審議会の答申(特に公益委員見解)を読むと、賃金改定状況調査結果第4表(一般労働者及びパートタイム労働者の賃金上昇率)と、生活保護との整合性について言及があった。
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