社会学者の北田暁大氏が、昔の指導教官の上野千鶴子氏を批判している。社会学者の師弟対決なんて「ママ、あれなに?」「ダメよ、見ちゃダメ」案件なのではあるが、上野氏はきっと全スルーして対決にならないので、論点が錯乱している文章に文句をつけたい。つまり、低賃金外国人労働者に「家事/ケア労働」を任せ、日本人女性に高度技能職に就いてもらうことで、経済成長率を引き上げるべきだと考えているのであれば、どこかにはっきり書いて頂きたい。多文化主義が受け入れられない事による、移民増加による社会的不公正と抑圧と治安悪化は、北田氏が念頭に置いている政策の障害であって、北田氏が推進したい政策ではない。目的を隠して、目的に障害が無いことだけ主張し続けても、意味不明である。
1. 北田氏の上野氏批判
問題のエッセイは『脱成長派は優し気な仮面を被ったトランピアンである――上野千鶴子氏の「移民論」と日本特殊性論の左派的転用』と言うもので、移民が入ってくると経済成長する代わりに、社会的不公正と抑圧と治安悪化が生じることを前提に、少子化による労働力不足の解決を諦めて、日本経済の縮小阻止を諦めよう、その際に生じる問題は再分配機能の強化で解決しようと言う上野千鶴子氏の毎日新聞に掲載された論説を批判している。
曰く、日本でも多文化主義は生じることはでき、社会的不公正と抑圧は生じないと言うことと、移民を受け入れても治安悪化が必ず生じるとは言えない。日本人から移民への社会的不公正と抑圧と付随する犯罪は、それをする日本人が悪いのだから取り締まるなど対策を取るべきだし、移民も経済的に恵まれていれば犯罪は犯さないので無問題と言う事のようだ。さらに、再分配政策を機能するものにするには、経済規模の拡大が必要だそうだ。しかし、どうやって経済規模の拡大を図るのかがポイントになるのだが、それについては明言されない。代わりに、家事/ケア労働の議論が展開されている。
2. 嫌いな人に、嫌いなレッテルを根拠無く貼る論法
新自由主義に「小さな国家(緊縮財政)/個人主義的な競争主義/流動性の上昇/貧富の格差の肯定」を指向するものと定義し、上野氏がそれであると主張しているが、再分配政策の強化は大きな政府による格差の否定であり、競争主義を生活水準にまで持ち込まない事を意味し、さらに移民制限は流動性の低下をもたらすので、上野氏は論説での主張は当てはまらない。むしろ、北田暁大氏の方が新自由主義的である。「世代間再配分を果たそうにも…」以下の三段落では、「経済成長がなければ生産年齢世代が得るものは大した額ではない」と再分配政策に否定的結論を下している。高齢世代と現役世代の格差を是正不可能と肯定してしまっている。さらに、「あのおそろしく税金の高い国家において、日本や韓国以上の成長率を維持できているということは、どういうことか」と、小さな国家の方が経済成長率が高くなる事も暗に主張している。「多文化主義に基づく人的資本の流動化」を推奨しており、流動性の上昇も主張している。
3. 排外主義とナショナリズムは違う概念
北田氏は上野氏が排外的なナショナリストだと批判しているが、ナショナリズムと言う単語の意味をよく調べていないようだ。エスニシティではなく、国家に対する帰属意識が強いナショナリズムの場合、排外的な方向に働くかは別になる(関連記事:安易に民族やナショナリズムを語るのがまずい事が分かる本)。かつてイギリスの植民地の市民は、イギリスの他の領域に自由に移動できた時期があった。大英帝国と言うナショナリティが、エシニシティからの排外主義を許さなかったわけだ。それでインドから南アフリカに渡ったガンジーは、インドには存在しなかった本場の民族差別に接して独立運動を決意したとされるが。また、自国利益の追求を露骨に表に出すと一国主義だと批判されるわけだが、近代的な国民国家はナショナリズムによって立つ存在であり自国や自国民の利益を追求している。これを否定しても現実的に受け入れられる政策にならないので、リアリズムの立場からは受け入れざるを得ない。
4. 北田氏の移民問題に関する不見識
上野氏をリアリズムではなく、端的な不見識と批判しているが、北田氏の国際認識は適切なものであろうか。多文化主義が現実的に困難を伴う事は、日々の国際報道を見ていれば感じる事であろう。さらに、社会的不公正と抑圧が生じないようにするために、各国が払っている費用も無視している。差別行為やヘイトクライムを行なう方が間違っていると主張するのは容易だが、自由主義社会において市民を規範的に振舞うように強制するのは至難の技である。北田氏の論法「なぜ日本だけが」を用いれば、なぜ日本だけが多文化主義を実現できると言えるのかと言う問いが必要であろう。
移民を大量に受け入れている国、フランスでも中東系の氏名を持つ人々が求職で差別され、ノルウェーでも2011年7月22日に銃乱射事件が起きている。東南アジアでは度々、華人への迫害行為が起きており、米国でも先日、シナゴーグが脅迫され、ユダヤ人墓地が荒らされるヘイトクライムが発生した。スウェーデンでも移民が社会にうまく溶け込めないので苦労しているとされる。シンガポールは多文化主義ではなく、移民の居住地が固まらないように同化政策を取っているそうだ。デンマークでは、デンマークの食文化を学ばせるためと言って、学校給食に豚肉を用いることを義務化した。学校教育は常に問題になり、娘にプールの授業を受けさせることを拒絶するイスラム教徒の保護者もいるそうだ。複数の道徳観念を共存させようとする道徳的相対主義は容易に矛盾を孕むため、多文化主義がすぐに困難に陥る事は容易に指摘できる。北田氏はスペインを成功事例にしているが、スペインの居住する移民は旧植民地のスペイン語圏からの移住者であり、経済的・言語的・文化的軋轢がほとんど無いことを無視している。
日本に居住する外国人の犯罪発生率の低さも挙げているが、原則として経済力のある外国人にしか永住者資格を与えていない今までの我が国の数字では、移民規制の緩和でこれからやってくる経済力の無い外国人の犯罪発生率が低い事への論証にならない。戦後、スクリーニングなしで日本に入り込んだ在日韓国・朝鮮人の犯罪発生率が高かったことは、良く指摘されている。また、経済的環境が犯罪発生に影響を与えているとして、他の要因が犯罪発生に影響を与えていないとは言えない。特定のエスニシティが凶暴と言うことはないかも知れないが、言語的・文化的な隔絶が人々の行動に影響を与えないと言う仮定は、社会学者として問題があるのでは無いであろうか。
なお、上野氏が「ジェンダーやセクシュアリティと移民の問題が同じにできないのは、前者が選択できないのに対して、後者は政治的に選択可能だからです」を北田氏は批判しているが、「すでに国内に在住している外国人に出て行けということを意味しません」とあるのに在日韓国・朝鮮人について議論をしているのは御愛嬌としても、現在の日本人女性の地位と(まだ日本にもやってきていない)外国人労働者の地位は同列に語れないのは現実だ。究極的には正義と言える施策でも、人々が受け入れないと意味が無いことがあるのは、倫理学者すら認めている。結局、人々に受け入れさせる事ができるか否かがポイントになるので、社会的不公正と抑圧が生じるか否かに帰着する。
5. 望めば経済成長するわけではない
上野氏の主張は、移民政策を維持して国民負担率を上げて再分配政策を強化と言うもので、ある程度は具体性がある。分配先が気になるが、財源は租税と明確だ。上野氏を脱成長派と批判する北田氏の方は、その主張の基幹となる経済成長促進策について、年4%の経済成長の達成を目指すと言っているトランプ大統領と同様に具体性がない。経済成長があれば、分配の原資が増えると言うのはわかるのだが、だからと言って必然的に経済成長が起きるわけではない。ここ20年間の日本経済の問題は、他の先進国と同等の生産年齢人口あたりの成長率ではなく、生産年齢人口の減少と高齢者と言う従属人口の増加である(関連記事:高齢化の影響を除外すれば、日本も成長している)ことを考えると、移民受け入れによって生産年齢人口を増やして経済成長を計るように思えるが、北田氏の批判の中では明言されていない。それどころか、「労働力の確保はもはや手遅れ気味」『移民受け入れ策に切り替えても、日本が外国人労働者/あるいは移民になる意志のあるひとにとって、もはや魅力がさほどないぐらいに「堕ちた社会」になっている』と、北田氏自身が移民受け入れの効果に否定的である。「その頃になって焦って移民受け入れに転じても、誰もこんな国にはきたくない」とあるので、今なら来ると思っているのかも知れないが。なお、東・東南アジアは少子高齢化が急激に進んでいるのは確かだが、南アジアはまだまだ人口増加しているので、「アジアには人口輸出圧を持つ国がいくつもあります」と言う上野氏の指摘の方が説得的である。
6. 北田氏は主張を整理してから批判しなおすべき
移民を受け入れることの必要性・経済成長の必要性・家事/ケア労働の外部化の必要性の三つの必要性の議論がよく整理されないで展開されていて、想像力なくして主張を捉えることは不可能だった。是非は別として移民を受け入れは可能だと議論されているが、経済成長と家事/ケア労働の外部化について、どのように可能にするか説明されていない。しかし、上野氏が「日本の女性のかかえる問題が、外国人労働者への負担の転嫁を通じて解決されることをよしとしません」と言っていて、これに文句をつけている気がするので、北田氏は低賃金外国人労働者に「家事/ケア労働」を任せ、日本人女性に高度技能職に就いてもらうことで、経済成長率を引き上げるべきだと考えているのであろう。想像が正しければ、出稼ぎ労働者には賃金が入るから相互利益関係にあるとは言え、北田氏の考える日本社会の利益の追求を目的とした一国主義的な発想である。自国都合で一方的に外交政策を変えようとするトランプ大統領と、物事の考え方は変わらない。それが悪いと言うわけではないのだが、そう指摘されたくない場合は、もう少し普遍的な倫理から移民を受け入れを正当化すべきであろう。シンガーの「実践の倫理」の「内部の者と外部の者」の節の議論が参考になると思う。
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