以前に著者とある評論家の間の言い合いで話題になっていた「組織は合理的に失敗する」を拝読した。
第一部で「新制度派経済学」と言う分析フレームワークを提示し、第二部で太平洋戦争中の日本陸軍の作戦行動を分析し、談三部で他の成功・失敗事例を列挙しつつ組織の「歴史的不可逆性原理」を提案しつつ、適切な組織設計について議論を行っていく。
不条理な作戦行動をとっていたとされる太平洋戦争中の日本陸軍も、色々と考えていけば組織としてはともかく、個人個人は合理的かも知れないと言うお話で、全体の主張は分からなくも無いのだが、細部を見ると論が荒い部分もある。
1. 作戦失敗はノー・コストなのか?
個々の関係者の費用便益分析が詳細にされていないので、困惑する部分が多い。例えば、政治的な自己利益を追求する人々にとって、海軍よりも目立たないままになるインパール作戦の中止は膨大なコストであったと主張する(P.136)。そして僅かでも成功の確率があれば、インパール作戦を実行することが合理的だったそうだ。
しかし、この議論が成立するためには、非常に高い確率で発生する作戦失敗はノー・コストに近い必要がある。実際のインパール作戦は死傷者5万人以上、損害率75%であるのだが、牟田口中将や作戦参謀には何ら損害は無かったのであろうか? ─ 牟田口中将は罷免されて予備役に追いやられた。
作戦成功確率に関わらずノー・コストを仮定するには、作戦を実施しなければ牟田口中将に失敗と同等のペナルティーが生じたと言う議論が必要なはずだが、その点は著者は明確にしていない。成功確率×作戦成功の費用便益、失敗確率×作戦失敗の費用便益、何もしない費用便益の三つを比較しないと合理性は議論できないはずなのだが。
2. 逆選択なのか、囚人のジレンマなのか
インパール作戦で多くの参謀が作戦に強い疑義を抱いていたのに強い反対論を持つのに、作戦が実施されたことをアドバース・セレクション(逆選択)だと筆者を説明する。しかし参謀たちの費用と便益を明確に議論していないし、インパール作戦から誰が自発的に離脱していったのか、誰が自発的に参加してきたのかも明記していない。稲田総参謀副長の左遷は逆選択ではないし、真田参謀本部長の人任せな姿勢もそうとは言えない。むしろ多数が反対したら作戦を中止できるが、少数が反対したら反対者が左遷される囚人のジレンマ的な状況に感じる。
3. 行動経済学との関係が気になる
行動経済学の権威ダニエル・カーネマンが2002年にノーベル賞をとったので、本書の原文が書かれた2000年、2001年の時点では行動経済学的が必ずしも一般的だとは言えなかったわけだが、行動経済学との関係が気になった。
オリバー・ウィリアムソンが取引費用があるときの意思決定を限定合理的と表現していたので著者の議論が間違いだとは思わないのだが、行動経済学的な認知バイアスによる利得計算の歪みを「限定合理性」という事が多い時代になっているので、限定をつけないほうが今風だったかも知れない。
用語の問題だけではなく、事象の説明にも影響する。個人の利得が明快に議論されていないので、東条英機や牟田口廉也の意思決定が合理的であったかは断定できず、認知バイアスによって不合理な決定を下したとも説明できる点にも注意が必要であろう。
4. 陸軍にとっては最初から埋没コスト
第4章で日本軍が白兵突撃を採用し続けていたことに対して、著者は戦術変更コストが膨大であるとし、教育訓練コストが埋没コストになったと主張する。しかし、二つ問題がある。
- 費用と便益(=予想された戦果)を比較していないので、戦術変更が陸軍にとって不合理なのかが分からない。第7章で議論される硫黄島と沖縄の事例からすると、戦術転換コストは低いように思える。
- 教育訓練コストが埋没コストになると言うのは言葉通りに捉えれば、教育訓練コストは転売不可能なので誤りだ。最初から埋没コストになる。ゆえに教育訓練コストが判断に影響すれば、限定合理性もない単なる不合理になる。
著者は上記二点に関して、もっと詳細な説明を行う必要があるように思える。
5. 参謀にとっては方針転換は“コスト”とは言える
組織と個人の利益を対比する著者の見解を汲み取れば、日本軍としては白兵突撃の訓練は埋没コストだけれども、白兵突撃の訓練を決定した参謀の評価は白兵戦術がダメだと分かった後に決定されるので、参謀から見ると敗北するまでは埋没コストではないと言いたいように思える。
意思決定主体が一つなのでフロー図を描くと以下のような感じになって、p1<p2であって陸軍にとって不利益であっても、将校は自らの評価を下げないために、白兵突撃を選択し続けることになる。
文中には『埋没コスト』としか書いていないので、陸軍(と日本国)が払うコストなのか、参謀が払うコストなのかが明確には分からない。通常の意味でのコストでは無いことは明確にすべきであるし、主語を省略するべきでは無かったように思える。
何度作戦失敗しても参謀の評価が下がらないことが前提になっているが、少しでも下がる場合はp1とp2の差が問題になってくる。著者は僅かでも勝利の可能性があれば白兵突撃を繰り返すと言っているので、こういう図になる。
6. ゲーム理論を用いるべきだったかも知れない
上述の議論の不明瞭さは、自然言語で複数の関係者の利害関係を記述することの難しさによるものな気がする。ゲーム理論で議論を展開したら、議論は明快だったかも知れない。
著者が言う「新制度派経済学」は、外部不経済、取引費用、情報の非対称性、不完備契約を取りこんだ今では一般的な経済学の概念だ。こういう問題を考えて制度設計をする分野は、メカニズム・デザインとして進化している。これらの研究ではゲーム理論と言う共通言語を用いるようになっている。
一般向けの本なのでテクニカルな議論は回避したのだと思うが、分析フレームワークを明確化してしまっているし、少なくとも展開ゲームを復元できる情報を提示して欲しかった気がする。
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